戻る

前ページ   次ページ

和書 1093102 (275)



ターシャ・テューダーの花のポストカードブック(写真編)
販売元: メディアファクトリー

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






ターシャの庭づくり
販売元: メディアファクトリー

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

コーギーを飼ってます。なおかつ庭造り花造りをしています。この一冊は大変貴重です。花の世話のコメントなどが嬉しいです。こんな庭を持たれて、羨ましい限りですね。




抱きしめて 飯島直子写真集
販売元: ドリームワークス出版

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






体験―ニッポン新宗教の体験談フォークロア
販売元: 現代書館

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

翻訳にちょっと難がありますが、新宗教のユニークな研究書として、またアメリカの民俗学者による日本人論として、とてもおもしろい本です。基本的に、新宗教が主催する定例の会や教団の出版物にある、信者さんたちの「体験(談)」をいくつか紹介し、その構造と機能を分析している作品なのですが、この様々なストーリーが何より興味ぶかい。まあ、他人の「不幸」の諸相をじっくりと聴いていくような感じなのですが、わあ、何でこんな悲惨なんだろうな、と思いながら、「ふつう」の日本人が一定の距離をとりながらも興味津々な「宗教」の世界に、人がどうやって入信していくのかのリアルな過程がよくわかるようになっています。
文化的な均質性の度合が高いといわれる日本人(本書の原著1988年…。この前提はもはや妥当ではないか?)は案外、多面的な部分をもっているのだ、という主張が、三つの教団(善隣会・立正佼成会・崇教真光)における体験談の性質の相違を根拠になされます。たとえば人生上の危機というものが、善隣会では主に病気であるのに対して、佼成会では人間関係(男女差が強くでることに注目)、そして真光はやっかいごと全般、みたいです。あるいは不幸(不和)の原因として「先祖(死者)」が関与するか、という問題についても、善隣会では否定、佼成会では多少、真光では大きい、という差異があります。
つまり、一口に「不幸」とその理由(さらに解決方法)といっても、教団(教理)の方針からくる多様な価値観と視点によって、より個人の身体・精神的な事情に注目が集まったり、むしろより広い関係性に焦点があわされたりします。または、個人に内在する責任と反省を重視するのか、個人の外に悪の原因を求めるのか、教団がかわれば、ものの見方が全然ちがってくるらしい。人生、いろいろ。





大国の陰謀 (1982年)
販売元: 図書出版社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






テンペスト (大修館シェイクスピア双書)
販売元: 大修館書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






夏の夜の夢 (大修館シェイクスピア双書)
販売元: 大修館書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

シェイクスピアの喜劇です。妖精のいたずら(勘違い)で、嫌いな人を好きになり、好きな人を嫌いになってしまう。3組のカップルが入り乱れる、ちょっとややこしい、ドタバタ喜劇です。

私が一番興味を覚えたのは、どちらかというと脇役っぽいボトムという男です。彼の役柄にはちょっと中年男の悲哀も入っていて、二度目はぜひ彼の視点から読んでみてください。

シェイクスピアの英語はやや古いのと、駄洒落が多いので、日本人には理解が難しいものですが、この本は見開きで左が原文、右が注釈となっているので、読みやすいと思います。タイトルは私が小田島氏の翻訳で読んだときに、翻訳の苦労の跡がみえた一文です。原文はどうなっているのか、興味がある方は見てみてください。




マクベス (大修館シェイクスピア双書)
販売元: 大修館書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






リア王 (大修館シェイクスピア双書)
販売元: 大修館書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

「リア」は何度読み返しても、本当に凄い。興味のある人には、一度は原文にあたって、じっくり対決してみる価値があると思います。

敢えて疑問に感じている点を書くとすれば、この悲劇ではコーディリアらいわゆる「善」の側も滅びますが、リーガンらの「悪」のほうも破滅して、一応秩序は守られた、という形をとっていることです。でも現実世界では必ずしも「悪」の側<も>滅びるとは限りませんから、現実はもっと過酷だ、と言えるかもしれません。そういう意味では、本書ミルワード氏のキリスト教的な解釈は(だけでは)、かえってリアの世界を小さくしてしまうのではないか、という印象を持ちます(最近FとQを読み比べてみましたが、Qでは、普通ケントに割り当てられる台詞「胸が張り裂ける、張り裂けてくれ」がリアの最後の言葉です。Qのリアを、歓喜の中で死んだ、と解釈するのは無理ではないかと思います)。
とは言え、最後の傑作「あらし」では、シェイクスピアは悪が改悛するというお決まりのハッピーエンドを拒絶する一方、主人公には一種の悟りを期待しているように見えます(強烈な不協和音も響いていて、とても「悟り」などという一言でかたづく作品ではありませんが)。シェイクスピアが最終的に求めたのは、政治的・現世的な秩序や正義ではなく、もっと個人的・宗教的な境地だったのではないか? 

昔リアの悲劇に耐えられないと感じた人たちがこれをハッピーエンドに改作しましが、今私たちも自分に都合のいいように解釈し直しているだけだとしたら、余り彼らを笑うことはできません。それでは、シェイクスピアは本当は何を書いたのか? ーー私の場合は、これまで読んだすべての本は、このシェイクスピアの<本当は何を>を理解するためのものだったのではないか、と思うことがあります。




リチャード三世 (大修館シェイクスピア双書)
販売元: 大修館書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)




前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ