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和書 3327241 (375)



ほほえめ、信二よ―私と息子と障害者運動
販売元: 桐書房

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ほむら野に立つ 大阪府立豊中高女学徒動員記 (「戦争と平和」市民の記録)
販売元: 日本図書センター

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ほらと河童と雪女―津軽=車力の昔話 (日本の昔話 16)
販売元: 未来社

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ほんとうに知りたいこと―ガンをのりこえた最初の一年
販売元: 日本基督教団出版局

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ほんとうの「ゲド戦記」―英文で読む「アースシー物語」
販売元: 大修館書店

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『ほんとうの「ゲド戦記」』という題名には、
ジブリのアニメ作品と原作は全くの別物なので、
原作のほうを英文を交えて味わって欲しい、
という含意がまずあるように思うが、
著者が提示する訳文は、岩波訳に比べて
格段に優れているようにも思えないし、
人名などの訳語のいちいちを
岩波訳と変えていることについても、
正直、あまりいい感じを持たなかった。

別に岩波訳が絶対だとは思わないが、
明らかな間違いというのでなければ、
すでに流通している訳語に統一するほうが自然で、
それをあえて変えるからには、岩波訳もまた、
「ほんとうのゲド戦記」ではない、
と著者が考えているように読めてしまうからだ。
(『ゲド戦記』よりは『アースシー物語』のほうが
 全体を通じての題名として適切なのは確かだが、
 はじめは三部作で完結していたのだから、その時点では
『ゲド戦記』でもさほどの問題はなかったと思う。)

また、著者がカルチュラル・スタディーズ系の人なので、
4巻以降に見られるル=グウィンのフェミニズムについて、
どんな扱いをするのかと思っていたら、案の定というべきか、
それを完全に鵜呑みにして、一方的に称揚するだけの
いささか単純な書き方になっていることにも、不満を感じた。

前書きによれば、著者が『ゲド戦記』全6巻を読んだのは
それほど以前のことではないらしいので、
はじめの本来の三部作と、4巻以降の作品の世界観に
根本的な断絶があることが見えなかった可能性もあるが、
4巻以降のように、物語としての質は格段に落ちていても
あからさまなメッセージが書き込まれていたほうが、
この手の著者には読み取りやすいのだろうから、
こういう書き方になってしまうのは仕方がないのかもしれない。




ほんとうの幸いもとめて―宮沢賢治 修羅への旅
販売元: ルック

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ほんとうの教育者はと問われて
販売元: 朝日新聞社出版局

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ほんとうの考え・うその考え―賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって
販売元: 春秋社

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ほんとうは見えているのよ―「盲学校物語」
販売元: 学研

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ほんとに検事の奥さんですか?
販売元: 第三書館

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2002年4月、当事現職大阪高検公安部長の三井環氏が逮捕された。
しかしその後、同氏により検察の裏金作りの内実が明らかにされ、
同氏の逮捕は検察の保身のための口封じ、国策逮捕であると
一般的には認識されるに至った。

本著では、三井氏の奥さんが家庭の側から「事件」の「舞台裏」を描いている。
検察官の家族も、ごく普通の家庭で、ごく普通の日常生活を送っていたこと、
それが「事件」を機に一転したこと等、
通常は知ることのできない内容が描かれており新鮮で興味深い。

そして本著においても三井氏逮捕による一連の「事件」が検察の保身のための
国策逮捕であることが鋭く指摘されている。

「事件」当事はいかに三井氏が国策逮捕を訴えても、「まさか検察が」と
信じられない国民が多かったかもしれない。

しかし、現在は違う。
粉飾決算をめぐるライブドアと日興コーディアルグループに対する
検察の態度の相違等々を見て、国策逮捕は存在する、と考える人が
多数になったと言えるだろう。

そして、県知事や高級官僚、警察による汚職が明らかとなった以上、
検察も例に漏れないと考えるのが通常であろう。
現に本「事件」においても大阪高裁が「調査活動費の流用はあった」と述べている。

すなわち、現在では、検察に対する国民の信頼は地に堕ちているわけだ。

「検察も『悪事』を行っているが、検察を取り締まる機関はないのだから
 どうしようもない。むしろ検察の『悪事』を指摘したら逮捕される。」
多くの国民がこのように考える状況はとても正常な国家とは言えない。

日本が正常な国家に戻るためには、検察が自らの非を認め、それを表明しなければならない。
そうでない限り、国民は潜在的にせよ、検察に不信を持ち続ける。

これを実現するためには1人でも多くの国民が「今の検察はおかしい」と
認識し続けていることが必要だ。

本著のような書物はその一助となると思う。是非、一読を薦めたい。



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