さて、長岡氏の採用した運指だが、バロックの様式とはかけ離れている。氏は冒頭で現代のピアノはタッチが深いので、バロックの運指は適さないから現代風に変更したと述べているが、それならば長岡版と明記しなくてはならない。
これまで、バロックの運指を変更する場合、現代のピアノは当時のチェンバロよりも鍵盤の幅が広いからとか、長岡氏のようにタッチが深いからなどと主としてメカニックな部分だけを取り上げて説明する編者がほとんどである。しかし、当時の運指はアーティキュレーションと深く結びついていた。つまり音楽的に意味のある運指だったのだ。現代のピアニストたちは、より弾きやすいという理由でバロックの運指を変更してしまうが、当時の音楽観を探る努力を怠っている。
例えばスケールの上行に際して、現代では右手で1,2,3,1,2,3,4,5と弾くが、当時は1,2,3,4,3,4,3,4と弾く。確かにこれでは中指が薬指をまたぐのでレガートに弾きにくい。しかし、当時は音符はイネガル(不均等)に弾く習慣があり(特にフランス趣味)、強拍は弱拍よりも長く保持した。チェンバロはピアノのように強弱が付けられないので、長短でこれを表現したのである。よって、例えば4分の4拍子では、最初の四分音符と三番目の四分音符があと二つの四分音符よりも長くなる(つまり奇数拍の四分音符が偶数拍の四分音符よりも長くなる)。この場合、奇数拍を中指で弾き、偶数拍を薬指で弾けば、中指は薬指が打鍵するまで保持することができるのに対し、中指は薬指がまたぐ時に鍵盤から離れてしまい、長く保持できない。つまり、奇数拍が長く、偶数拍が短くなるのである。これが当時のアーティキュレーションの基本であった。バロック時代には、同じことがフルートやヴァイオリンなど旋律楽器でも模倣されたのである。
こうした点を考えると、現代人にとっての弾きやすさを優先する前に、音楽的な面から当時の運指を考察することが非常に重要であると思われる。私としては、当時の運指は変更するべきではないと思う。ただし、インベンションとシンフォニアにはバッハによる運指は示されていないのだから、変更もなにもない。編者による運指を載せるか否かの問題が残るだけである。上級者やバロック音楽を専門に学ぶ者には運指のない楽譜が望ましいが、相手が初心者の場合は難しい。あえて載せる場合は、やはり音楽的な理由から当時の運指法に従うべきだと思う。当時の運指法に関する文献としては、F.クープランとC.P.E.バッハの二人の著作が最も重要であると思われるが、J.S.バッハによるものとしては、長男の練習曲集などにわずかに残るだけであるから、こうした文献などから推測するほかない。いくら息子だからといってもC.P.E.バッハの運指法が父親と同一であるという保障はないわけだから、この問題はかなり難しい。場合によっては複数の可能性を併記する必要があるだろう。