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和書 467254 (64)



芥川龍之介全作品事典
販売元: 勉誠出版

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読んでおくことでしょう。演習で少なくともこの水準は理解しておけという内容です。
しかし、芥川で卒論やっても所詮二番煎じで終わるのが目に見えています。よっぽど斬新な論を展開しないとその先へは進めません。つまり、学部で終わりです。教員の方も分かっているんで卒業させてくれるでしょうが、大学院への進学はやめた方がいいというでしょう。

少なくともこの書に書いてあるようなことを書き写しても評価されません。




芥川龍之介全集〈1〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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 まず芥川龍之介は全集で読むべき作家です。それは作品の大半が短編で、その創作内容が広いためです。純文学、時代小説もの、王朝もの、切支丹もの、明治もの、児童小説など挙げればきりがありません。そして純文学の正道を歩みつつ、ここまでレトリックを駆使する作家も珍しい。多彩かつここまで楽しませてくれる作家もそうはいないと思います。短編集で満足するには惜しすぎる作家なのです。
 
 しかし一般読者にずっと愛されたのに反し、人間の苦悩を好む戦前文壇では永く無視されてきました。短編中心で、ラストの落ちで読者をあっと言わせるような話の書き手である以上合いが悪かったのだと思います。話の大半は最後が幻想文学的で、通常の内容では結末がつけられないと本人が言っている程です。

 この全集の年代順に読んでいくと作品の傾向などの変化が感じられて良いです。第一巻ではシニカルで皮肉的な「MENSURA ZOILI」が一番お気に入りです。どうぞ一度全集を通して読んでみて下さい。きっと気に入る話が見つかります。




芥川龍之介全集〈2〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」は芭蕉の辞世の句として伝えられるが、実際は死ぬ5日前に作ったものである。その間のことを書いた文暁の「花屋日記」を参考にしながら、芥川は門弟が集まって師芭蕉の終焉を迎えた時の心理をそれぞれ書き分けている。
 其角は瀕死の芭蕉に、ほとんど何の悲しみもなく、最も堪え難い嫌悪の情ををもつ。去来は満足と悔恨とが交錯し、人が良くて小心な彼の気分を騒乱していた。それも、親に仕えるつもりで師の看病を続けていたからである。支考はちらりと閃いた苦笑をするような、辛辣なところがある。丈草は老実で、つつましく伏し目になって何やらかすかに厳か。
そのように、師匠の終焉に侍しながら、かれら門弟たちはそれとは関係ない利害打算に左右されていた。
 自分たち門弟はみな師匠の最後を悼まずに、師匠を失った自分たち自身を悼んでいる。枯野に窮死した先達を嘆かずに、薄暮に先達を失った自分たち自身を嘆いているのではないか、と支考は厭世的になりながら、しかもそれに沈める自分に得意になっているのだった。丈草もまた、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が力をえる解放の喜びがあった。
 俳諧の大宗匠は「悲嘆限りなき」門弟に囲まれて臨終を迎えたという芥川一流のアイロニーで一編を結んでいる(雅)




芥川龍之介全集〈3〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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大正期における日本のキリスト教受容の様子がよく分かる
「きりしとほろ上人伝」、
映画にもなった有名な「南京の基督」、
教科書によく登場するハートフルな「蜜柑」(みかん)、
個人的に大好きな「舞踏会」等、いい短編が収録されています。




芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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芥川龍之介全集〈5〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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 本全集第5巻には、36編の短編が載せられているが、その中から注目すべき、大正14年(1925)発表の「大導寺信輔の半生」のみを取りあげる。
 数少ない自伝的作品で、自分の精神形成の根底にある生い立ちについて語っている。その世界は陰鬱で自虐的でもあり、告発的でもある。作中の信輔は作者龍之介の分身であることは間違いない。
1、本所 母の実家のある本所。ここは感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。そこは自然に乏しかったにせよ、美しい自然を愛するようになった。ある朝、隅田川の百本杭にからまった死骸があったのを忘れられない。
2、牛乳 体の弱かった母の乳を吸ったことがなかった。瓶詰めの牛乳のほかに母の乳を知らぬことを恥じた。叔母の乳を吸っていた女の子に嫉妬を感じた。
3、貧困 彼はいつか貧困に対する憎悪そのものを憎んでいた。このような二重の憎悪は二十歳前の彼を苦しめ続けた。
4、学校 彼は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、いわゆる操行点だけは一度も6点を上らなかった。彼に与えられたのものは、畢竟落莫とした孤独だった。
5、本 小学校時代から本に対する彼の情熱は始まっていた。あらゆるものを本の中から学んだ。人生を知るために街頭の行人を眺めなかった(雅)




芥川龍之介全集〈6〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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芥川の晩年の作品集である。ここに収められている「河童」「或阿呆の一生」「「闇中問答」「歯車」は、晩年の芥川の考え、心情を理解するためには、是非とも読んでおきたい作品だ。改めてこれらを読むと、芥川の心を覆っていた闇の深さに驚かされる。

「河童」は、大正期の日本社会のカリカチュアとなっており、いかに理不尽で不思議な常識が、人間社会でまかりとおっているかを、芥川は見事に浮き彫りにしてみせる。

「或阿呆の一生」では、「人生は二十九歳の彼にはもう少しも明るくはなかつた」「彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」と述べる。凡庸な日々の生活や、鋭い理性と感性から来る、日常的な不安、そして、良心も宗教も存在しない、彼の心と彼を取り巻く社会によって彼は追い詰められてしまったのだ。

「闇中問答」は、芥川が得意としたアフォリズムがちりばめられた、自問自答の作品だ。自分は「どう云う良心も持っていない」と述べる芥川は、阿呆になりたかった。でもなれなかった。悪人にもなれなかった。最後の作品のひとつが「或阿呆の一生」という題名なのは、まったくの皮肉だ。とはいえ、結末の部分から、この作品は迷いを見せながら、形だけでも自分自身を元気付けるために書かれたものであるように思える。

「歯車」では彼の心情をつまびらかにする筆力が凄い。芥川を苦しめる不安と恐怖の数々。彼の周辺で起こる、いちいちの出来事に不安を予兆する「しるし」と関連性を感じざるをえず、芥川を奈落に突き落とすのだ。

類まれなる頭脳を持って生まれた近代人、芥川龍之介。しかし良心も思想もなく、ただ澄み渡った明晰な理知が存在する場合にどういう悲劇が起こるかを、芥川の人生は示しているように思う。








芥川龍之介全集〈7〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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 原著『侏儒の言葉』は、すでに昭和2年(定価2円20銭)に発行されている。それも雑誌「文藝春秋」に大正12〜14年発表した文章に著者自身がさらに手を加えたものである。以来80年を越えてなお、平成人に響く言葉があるかどうか、試みにいくつかを抜粋してみよう。

   人生
 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。

   危険思想
 危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。

   天才
 天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解するためには百歩の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならない。

   政治的天才
 古来政治的天才とは、民衆の意志を彼自身の意志とするように思われていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは、彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。この故に政治的天才は、俳優的天才を伴うらしい。ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅かに一歩である」と云った。この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。

 これらの言葉が永遠の真理であるとは言えないにしても、人生の機微を穿った名言として現代にも通じるものがある(雅)




芥川龍之介全集〈8〉 (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

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芥川龍之介全集〈第10巻〉雛 保吉の手帳から
販売元: 岩波書店

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