今回特に興味深く読んだのは次の項目でした。
■「紙芝居とアイスキャンデー」と「誰が小学校へ行ったのか」
紙芝居屋のおじさんからお菓子を買うことが出来なかったのは貧困層の子どもではなく、そこそこの家庭の子女が多かったことや、明治初期の農村部の子どもらが小学校へ「通わなかった」のは、貧しくて「通えなかった」わけで!はないことなど、読者の思い込みを正してくれる章はなんだか良質な謎解きミステリーを読んでいるようで軽い興奮を覚えました。謎に対して最後に差し出される回答は胃の腑にすとんと落ちるものがあり、思わず「なぁるほどぉ」と独り言を言ってしまったほどです。
■「慶喜(けいき)と慶喜(よしのぶ)」「ヒロシとは俺のことかと菊地寛」
平民宰相とよばれた原敬を「はらたかし」と読むのか「はらけい」と読むのかについてずっと疑問に思っていましたが、この章を読むことでようやく疑問が氷解しました。通称と実名(じつみょう)というふたつの名前があったという明治のはじめまでの習慣がそのカギです。
■「勉強しまっせ」
「値下げする」を意味する「勉強」の元来の意味を、この「勉」のみならず「免」という字の意味にまで言及して簡明に説明しています。小学校で「勉」という漢字を習ったときに担任の先生はこんなふうには教えてくれなかった。
このペースですと「お言葉ですが…」の第八巻が出るのは早くて2004年の春でしょう。う~ん、待ち遠しい。
殊に漢字に関する先生の薀蓄は、(戦後の国語政策にどっぷりと浸かってしまった私にはさすがに今から実践することは出来ませんが、それでも)中国が生んだ偉大な表意文字文化の奥深さ・味わい深さを余すところなく見せてくれます。
また、日本人の誰しもが歌ったことのある「故郷」という歌は「童謡」ではなく「唱歌」であることを解説した「からたちの花が咲いたよ」と「赤い靴はいてた女の子」の二編も勧めです。「童謡」と「唱歌」の簡単な見分け方ばかりでなく、「唱歌」を超克せんとして「童謡」の創作活動が始まったこと、そして子供というものを時の社会がどうみなそうとしていたのかといった点についてまで詳述していて、日本の近代社会史を知る上でも大変ためになりました。
また松山で暮らした経験があってあの街にとても愛着のある私にとっては、漱石が創作した「赤シャツ」と「野だいこ」のモデルは松山中学の教師ではなくて、一高の同僚教師であったとする高島先生のお説には、ほっとする思いを味わいました。ちなみにこの一高の教師ふたりは、「我輩は猫である」の中でも忌むべき登場人物として扱われているそうです。(「ピン助とキシャゴ」参照。)
次回作が待ち遠しいという思いにさせてくれる一冊です。
特に面白く読んだのは「騎馬民族説と天皇」。考古学者の故・江上波夫氏と言語学者の田中克彦氏とがモンゴルの草原で用便をしながら交わした会話というのが主題ですが、これがすこぶるつきで面白いのです。
昭和天皇が存命中に淋しいと感じては江上氏を呼びつけて騎馬民族説を話してくれるようせがんだという秘話なのです。それが本書の著者・高島氏ならではのちょっとふざけ気味なほど滑稽な味付けをして綴られています。
もうひとつお薦めなのが「ファミレス敬語はマニュアル敬語」。
「こちらケチャップに“なります”」、「1000円“から”お預かりします」といった特異な接客用語普及の犯人がわかったというお話です。その元凶はリクルート社が約20年前に制作した接客ビデオだというのです。随分と罪作りな会社です。これが正しい接客用語だ、とばかりに多くの日本人に耳障りな日本語をすり込んでしまったのですから。
週刊文春の連載1年分をまとめて一冊にするということですから、第10巻が出るのは2006年の1月以降ということになるのでしょう。次回がとても楽しみです。