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和書 467270 (367)



いまえよしとも2年生のどうわ〈2〉 (今江祥智童話館)
販売元: 理論社

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いまえよしともようちえんのえほん (今江祥智童話館)
販売元: 理論社

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いまここに在ることの恥
販売元: 毎日新聞社

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脳出血と癌を患い右半身に障害を抱える、元共同通信のジャーナリストで芥川賞作家でもある辺見庸氏による、1.書き下ろし「炎熱の広場にて」、2.2006年の新聞掲載文、3.2006年の「毎日ホール」での講演内容、で構成されています。

19世紀の(哲)学者、太宰治等の作家の言葉が多く引用され、我々日本人の恥(例えば第2次大戦の生体実験の事実をすっかり忘れていたり、コイズミ時代に自らファシズムを受け入れてしまう民族性)が白日の下に晒されます。

著者は日本のそして自分自身の恥を感じ、自身の精神を恥に曝すことで傷つけながら、限られた重い障害を持つ余生を自分自身の為に、恥を感じることの無くなった日本の社会・日本人の価値観を正そうと、その実存をかけて言論活動を必死の想いで続けていらっしゃると強く感じました。

そして、氏の言葉は自分の恥や欠点に気付かない振りをして、また気づきもしないで生きていては、本当の生を全う出来ないのではないか?と私に訴えかけてきました。
大切な人を失ったり、傷つけたりした中で、著者の魂の叫びの幾分かは聞き取れた気がしており、今、自分は自分の実存を何にどのようにかけるべきなのか、自問自答するきっかけとなりました。

以下の後書からの抜粋に感じ入るものがある方には、ご一読をお薦めします。

「メディア知」のみを絶えず食わされて、権力と市場と資本に都合のよいテーマだけを日々、投げあたえられ、もっぱらその枠内で発想し、喜び悲しみ反発するように導かれている。もうそろそろ、それを拒んでもいいのではないか。

たいしたことなのは、いままで口先で言っていただけのことに、一切の冷笑を殺し、(指の先から一滴でも血を流すような)万分の一でも実存をかけること






いまこそ国益を問え―論戦2008
販売元: ダイヤモンド社

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 著者は日本のためにしっかりとした方向を指そうと努力していることは万人が認めるところであり、その情報・努力には共感する。
 しかしながら、国民の方向性が伴わないという事実がある。しかし著者はそれを物ともせず、これからも突き進むであろう。頑張ってほしい。




いまこの人が好きだ! (1983年)
販売元: 新潮社

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いまこの人が好きだ! (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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いまこの瞬間愛しているということ
販売元: 集英社

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サヨナライツカより静かに泣ける物語で、どんどん世界に引き込まれていきます。
ハナの病気もわかってるので、もういいやと思うのですが、それでも
泣けてたまらない小説です。
ジェロームは、いつかハナを越える人と結ばれるのかなと思いつつ小説をおきました。
ブノアの引き締まった存在も素敵なスパイスな小説です。

とにかく待ってられないのです。読みたくて次に進みたい小説です




いまだから恋愛論
販売元: 大陸書房

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いまどきの老人
販売元: 朝日新聞社

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長めの短編から、極端に短いもの(「紳士のC」)まで、どれも独特の位置に老人が居るのだが、話が全部面白い。
ジャンルはバラバラなのに不思議とまとまりのある短編集で、“老人”の年齢幅も割と様々。
“老人小説集”と題うってこんなにお洒落な短編集というのはとても素敵である。「老い」についてぐちぐち述べたようなものは一編も無い。しかし、「老い」の老いたるが故の存在感は感じるはず。消えてゆくのが判っているろうそくをつい見詰めてしまうのと同じかも。




いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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そう、青山二郎と言う人物に興味を覚え、それとともに「白洲」と言う名のブランドに
魅かれ、本書を手に取った。
ううう、しかし、残念ながら自分にはこれを読みこなすことができなかった。

何と言うのだろう、このスノビズムは。盛んに出る「ジイちゃん」と言う呼び方にもな
じめなかった。とどのつまり、あの戦争のさ中にも美を追求できていた人たちの、極め
て特権的な人たちの、身内話でしかないのだろうか。

小林秀雄をはじめ、綺羅星のような我が国の代表的な文化人が登場し、その人たちが、
ちょうどこの「ジイちゃん」と言うようなかっこうで、日常として語られる。
その様子は、しかし素晴らしい人間の素晴らしい日常と言うより、むしろ素晴らしい文
化的な成果を生んだ、芸術的、哲学的な人たちも、当たり前的に極めて人間臭い人たち
だったと言うことでしかたかった。
それはそのとおりなんだろう。しかし、私は最後までこの白洲正子の語り口調になじめ
なかった。

結局のところ、このような素晴らしい、綺羅星のような文化人達の、「素の姿」を知ろ
うとしない方が良かったのか、と。あるいはその語り手として、極めて彼らに近かった
白洲正子は、近過ぎるがゆえ、その任にあたわなかったのか。
本当に、いまなぜ青山二郎だったんだろう。
記録者としての正子は、決して、青山の今日性を語ることのできる人物ではなかったん
ではないかと思ってしまう。


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