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和書 492116 (57)



さぐれさぐれ土のひみつ (シリーズ・自然にチャレンジ)
販売元: 大月書店

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ささえあいの倫理学
販売元: 新曜社

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ささやかながら、徳について
販売元: 紀伊國屋書店

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まずは目次をあけてみると、18の徳の定義が書かれている。これが誠に的確で、心に残る。
次に、気になる章から読み始める。また、これが的確な説明が書かれていて、心に残る。
そして次々と、章を読みあさっている。個人の生き方の美学が書かれている。
あなたはどの「徳」をお持ちで、どのような生き方をしたいのか。答えがそこにある。
訳はすばらしい。とても自然な日本語だ。




ささやかなる昔 (1979年)
販売元: 筑摩書房

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さまよう―ポストモダンの非/神学 (SELECTION21)
販売元: 岩波書店

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さまよう死生観 宗教の力 (文春新書)
販売元: 文藝春秋

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さまよう死生観というタイトルを与えられてはいるが、昨今の死生観について書かれた本ではない。どちらかといえば宗教と死生観といった本だ。

確かに複数の宗教から死生観に触れているが、現実的にそれだから今どうなのかということは期待するべき本ではない。日本について書かれた章もあるが、新鮮な感覚は得られなかった。

全体的に筆者のフィールドワークを中心として書かれており筆者自身の考えが添えられてはいるのだが、中途半端な印象を受ける。筆者の中に自分の死生観があるのは感じられるのだが、その詳細を明言せずに書き進まれており、しかもそれを前提とした半端な断言調に私はいい感じがしなかった。




さまよえる歌集―赤人の世界 (1974年)
販売元: 集英社

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赤人は自然詩人か、この常識を否定するのが本書第一部の主旨。叙景の背後から聞こえる神々と霊魂のさわぎを聞き取ろうとする。赤人は自然詩人と言われるが、彼の自然を見る眼には選択が働いている。富士山、伊予温泉、神岳、春日野、真間、玉つ島、吉野、いわばそういう場所は、神々や霊魂の住む場所であった。彼がそこで見たものは、単なる自然ではなく、むしろその背後にある神々や霊魂であったと言う。鳥の歌が多いのも、死霊の世界を見ている霊の詩人であったことを意味すると言いきる。
 もう一つ、人麻呂と赤人が同一人物であるという説である。人麻呂は文武帝あるいは聖武帝の后と通じて、明石あるいは東国へ流されていたが、後に『万葉集』選集のために許されて、赤人となったという奇怪な話である。著者はここに一抹の真実が隠されていることを明らかにする。人麻呂=流人説はまず間違いないとする。
『さまよえる歌集』は、思想的には『水底の歌』の後編に当たる。柿本人麻呂が石見の国で水死したとしたら、『万葉集』全体の意味が変わってくる。本書は人麻呂怨霊の鎮魂者として赤人をとらえる斬新奇抜な万葉論である。
 





さよならだけが人生だ―漢詩で読む人間学 (PHP文庫)
販売元: PHP研究所

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さよならソクラテス (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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プラトン対話篇のパロディ。
ソクラテスを中心とした対話形式はもちろんのこと、一般的にイメージされる「ソクラテス」っぽい空とぼけで、
現代(といっても一昔前の現代ではあるが)の日本における様々な時事問題に言及している。
正直ちょっとくだらないが、プラトンの対話篇に触れたことのある人ならば、そのくだらなさゆえに思わず笑ってしまうことだろう。
もっとも古代ギリシア人のソクラテスが、返還前の香港でお買い物をしたりする設定に可笑しさを見出せればの話ではあるが。

哲学者としての池田晶子氏にはあまり良い印象を持っていなかったが、少なくとも哲学科出身のエッセイストとしては成功しているように思われた。
彼女の言いたい放題の文章は、それ自体が哲学かどうかは疑問であるが、それでもある程度の哲学的エッセンスは含まれている。




さよならソクラテス
販売元: 新潮社

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