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和書 492116 (121)



アドルノ入門 (平凡社ライブラリー)
販売元: 平凡社

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フランクフルト学派のキーパーソンの一人、アドルノ。
卓越した作曲の才をも併せ持っていたこのドイツの哲学者の、哲学、社会学、美学と、分野越境的に思考したその仕事とその痕跡を再現していく入門書。ドイツ語の原書の日本訳であるが、語の方は簡易で分かりやすい。

アドルノの哲学でまず問題になってくるのは否定弁証法である。
主観と客観、という二元論をいかに超克していくのか。アドルノは完全無欠の主体的な主観(あるいは理性)と、完全に従順な客観(あるいは事物)の関係、つまり単純な合理主義を認めない。あるのは、「主観の過剰」と「客観の優位」である。それこそが同一においてもなおそこに内包される「非同一性」である。彼のこの考えは、同時代に産声を上げたフロイトのメタ心理学的な精神分析の「無意識」の概念とも深く共鳴する。
「私の知らない<私>がいる」。この時代に、人間の主体性をつかさどる理性の独壇場は揺るぎ始めた、ともいえる。

二つの世界大戦に代表される科学技術の発展による自然の支配。それは主観(人類)による客観の(自然)の支配が完遂されたように見えるが、そうではない。アドルノによればそれは<自然のとりことなった自然支配>なのである。太古の歴史以降、人類は自然と縁を切り、それとの関係を<支配―従属> の関係に置き換えた。そうすることによって、人類は自然への恐怖を、いわば「紛らわせてきた」と、アドルノは強く批判する。

自由主義以降の世界で、個として人間がいかにか弱い存在であるか。それはエーリッヒ・フロムの仕事とも重なるが、個人の孤独と集団への埋没を暴き出した、孤高の哲学者の入門書。




アドルノの場所
販売元: みすず書房

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アドルノ非同一性への憧憬―『否定弁証法を読む』
販売元: 東京図書出版会

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アドルノ/ホルクハイマーの問題圏(コンテクスト):同一性批判の哲学
販売元: 勁草書房

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アドルノ―非同一性の哲学 (現代思想の冒険者たち)
販売元: 講談社

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とても読みやすかった。
アドルノは難解なイメージがあったけど、著者の解説が分かりやすく、アドルノが好きになった。
本当に読みやすい本で、他にやることがあるにもかかわらず、読み出したら止まらない推理小説のように、手放すことが出来なかった。
このシリーズはどれも面白いけど、「現代思想の源流」とこのアドルノの版が私は一番学ぶところが多かった。

ただ、どの版もそうだけど、引き続き深く原著を読みたいので、どの著著のどの箇所からの引用なのかもう少し明記して欲しいとは思った。著者の解釈なのかアドルノが実際そういっていたのか分からない点がたまにあった。




アドヴァイタ認識論の研究
販売元: 山喜房仏書林

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アナクロニズム (1973年) (ユリイカ叢書)
販売元: 青土社

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アナム・カラ―ケルトの知恵 (角川21世紀叢書)
販売元: 角川書店

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全編が詩のように美しく、言葉ひとつひとつが心にしみこみます。落ちこんだり、傷ついたりしたときに癒しになる本だと思います。重病の友人に贈ったときも非常に喜ばれました。
私のバイブル的な存在です。訳文もすばらしい。




アナルシの系譜-ドラセナから超人まで
販売元: 落合書店

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アナロジーの罠―フランス現代思想批判
販売元: 新書館

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『「知」の欺瞞』に対する、哲学側からの反論に対する、別の著者による再反論である。『「知」の欺瞞』は、数理物理学者であるソーカルとブリクモンが、フランスのポストモダン哲学者(ラカン等々)が自説を展開するのに物理学や数学を用いたのを、極めて恣意的で不正確かつ無意味な引用であると噛み付いたものである。その後、デリダ等々が反論したのを、フランスの科学哲学者ブーヴレスが批判したのが、本書だ。ポストモダン側の本はまったく読んでないので極めて不公平なのであるが、哲学者の書いた文章は面倒くさくて、読む気がしないのだ。で、この2冊を読んで、哲学不信が決定的になってしまった。哲学ってどうもうさんくさいと思ってたのよ。
 そもそも、難解で解説を読まないと分からないなんて著作なんて大したものではあり得ない。しかも、その解釈について、人によって言うことが違うなんてどう考えても変。物理なら、ニュートンが何を言ったか原典まで遡らなくてもニュートン力学を学ぶことは可能である。しかし、哲学はそうはいかない、哲学を勉強しようとすると、すぐにプラトンが出て来たり、そこまでいかなくてもカントが出て来たり、時間が立っても全然整理されない。結局、なんか、全然前に進んでる気がしないのよね。これで、ラカンやデリダを取り上げて、「読んで分からないのは内容のないこけ脅しだからだ」という本を読んだものだから、古いものまで全部含めて、なあんだと思っちゃったわけ。
 確かに、キルケゴールの「あれかこれか」とか、ニーチェの「神は死んだ」とか、ヴィトゲンシュタインの「私の言語の限界が私の世界の限界」とか、“おおなるほど”と感心する一言もあるんだけど、あとは、ただただ分からなくて、俺の頭が悪いのかと情けながっていたのを、悪いのは哲学者の方よと言ってもらうと、なあんだ、と気が楽になった。おいおい、ソーカルだって哲学全部がそうだと言ったわけじゃないぞ、と言われるよね。でも、前から何となく感じていた不信感が故のないことではないことがはっきりしたと思っている。
 この本自身は、同じことをくどくどと繰り返しているし、人に勧めるにはいささか自信はないが、私にとっては、読んでよかった本である。


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