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和書 492116 (164)



意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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井筒氏は「神とは宇宙のありかたである」と言っているように思える。そうならばいくつかのことが説明できる。
1 神はなぜ全知全能であるのか
 「すべてが入っているもの」こそ、宇宙の別称である。宇宙内のすべてのモノやコトの存在の「ありかた」を神とすれば、神は他者としてそれらの外に立つことはない。時間の地平を越えても宇宙のあり方は変化し得ないから、定義上、神は全知全能でしかあり得ない。
2 なぜ天にいるか
信仰者にとって神の住処は「天」以外にない。天には星ぼしが輝いており、そこには一定の物理法則が明らかに感じられる。「法則」の支配こそ神の第一の能力であるからには、その身に最も近いと思える天界こそ住処と考えるのは自然である。
わずかな過ちは「法則」をセムならではの支配・被支配の概念で考えたこと。どんな「ありかた」も許容される宇宙内において、法則は創り・創られるものではないだろう。法則は、世界の分節のしかたとして「在る」ものだろう。理論物理学が発見間近としている宇宙方程式すら宇宙の「ありかた」の「すべて」を記述するものではない。絶対無分節者としての宇宙を描こうとする宇宙方程式は、表現として分節的記述以外にありえず、いったん分析的に記述されればそれは分節を繰り返すだけであり、無分節状態の再現は定義として不可能になる。記述そのものが永遠に終わらない、という不確定性原理の矛盾があらわれてしまう。
3「宇宙のありかた」は運命論ではない
「宇宙のありかた」の考え方は、すべてがあらかじめ絶対者によってコードされていることの単なる発現であるとする、諦観に満ちた運命論ではない。すべての生命は、輻湊する存在連関の糸の結節点としてのみ存在するが、結節点としての生命は、たまたまそこに密度が高まっているアミノ酸分子の、ゆるい「よどみ」でしかない。しかも、それらアミノ酸は、「拡散」による内部のエントロピー増大を回避すべく、一方向的な時間軸上で非可逆的に入れ替わっているのだから、存在連関の網はあらかじめ織られようがない。





意識と本質―精神的東洋を索めて (ワイド版岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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これにはイマージュの引き起こす人間の精神について述べた箇所がある
がその基盤となるのが言語アラヤ識という解放系の無意識であるとする。これがユングのいうセルフの基盤となる。言語アラヤ識に入る情報に安定性があれば何も起こらない。しかし彼が別著で指摘するとおり現代はリゾームの時代。セルフの基盤となる安定的社会構造は崩れエゴのみを肥大化させなければ人は生きていけなくなってきている。こういう時人の言語アラヤ識に入る情報は不安定化しそれがイマージュ意識の不安定性と可変性を生み時にはアートに時にはイデオロギーや思想に時には精神病理に時には新宗教となっセルフを再構築し言語阿頼耶識の安定性を保とうとする。彼の東洋哲学的基盤の賞揚は還って危険であるが社会的現象の基盤としての言語アラヤ識という無意識を設定した所は素晴らしい。




意識と無限―ヘーゲルの対決者たち
販売元: 近代文芸社

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意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)
販売元: 筑摩書房

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東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫BIBLIO)
販売元: 中央公論新社

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井筒氏は本書の冒頭で、 “『大乗起信論』は、本質的に一の宗教書であり、仏教哲学の著作であるが、後者の側面に絞って、『大乗起信論』を読み直し、解体して、その提出する哲学的問題を分析し、そこに含まれている哲学思想的可能性を主題として追ってみたい。要するに、『大乗起信論』を東洋哲学全体の、共時論的構造化のための基礎資料の一部として取り上げ、その意識形而上学の構造を、新しい見地から構築してみようとするのである。”と述べる。
これは、“『大乗起信論』の伝統的な解釈を踏襲せず、哲学的思想としての可能性を自由に思索してみたい。”ということのようだ。伝統的な解釈よりも自由な思索を重視すると言うのであるから、本書の内容に仏教の立場から疑問を呈することは無意味であろう。
その代わり、本書から受けた印象を一言で表現するならば、大乗経典や大乗論書の創作を彷彿とさせるものであるということである。
仏教史的には、釈尊仏教の教法(理論と実践)から法を失ったのが小乗仏教、失った実践方法は本来不要であったという論理構築を(詭弁と気づかれずに)巧妙に作り上げたのが大乗仏教である。大乗仏教の経論書の創作者も仏教の伝統的解釈から離れて、自由な発想からSF的な小説を書き上げた動機は井筒氏と同様であったに違いない。





意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 東洋哲学覚書
販売元: 中央公論社

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井筒氏は本書の冒頭で、 “『大乗起信論』は、本質的に一の宗教書であり、仏教哲学の著作であるが、後者の側面に絞って、『大乗起信論』を読み直し、解体して、その提出する哲学的問題を分析し、そこに含まれている哲学思想的可能性を主題として追ってみたい。要するに、『大乗起信論』を東洋哲学全体の、共時論的構造化のための基礎資料の一部として取り上げ、その意識形而上学の構造を、新しい見地から構築してみようとするのである。”と述べる。
これは、“『大乗起信論』の伝統的な解釈を踏襲せず、哲学的思想としての可能性を自由に思索してみたい。”ということのようだ。伝統的な解釈よりも自由な思索を重視すると言うのであるから、本書の内容に仏教の立場から疑問を呈することは無意味であろう。
その代わり、本書から受けた印象を一言で表現するならば、大乗経典や大乗論書の創作を彷彿とさせるものであるということである。
仏教史的には、釈尊仏教の教法(理論と実践)から法を失ったのが小乗仏教、失った実践方法は本来不要であったという論理構築を(詭弁と気づかれずに)巧妙に作り上げたのが大乗仏教である。大乗仏教の経論書の創作者も仏教の伝統的解釈から離れて、自由な発想からSF的な小説を書き上げた動機は井筒氏と同様であったに違いない。





意識の再編―宗教・科学・芸術の統一理論を求めて
販売元: 勁草書房

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意識の自然―現象学の可能性を拓く
販売元: 勁草書房

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意識の進化と神秘主義
販売元: 紀伊國屋書店

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意識の神経哲学
販売元: 萌書房

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