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和書 492116 (270)



梅原猛の授業 道徳
販売元: 朝日新聞社

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少し前のに読みました
感動で、自然と涙がこぼれました。
きっと昔は、先生や、親が堂々と子供たちに教えていたであろう道徳を、
敗戦をきっかけ(?)に教えられなくなったのでは?と思います。
基本的人権は、『キリスト教の神が、人を、創られた』という前提にあるわけで、
文明、文化の違いなどで、いつでもどの国でも受け入れられるわけでもなく、、
一神教の文化と、日本のような特殊な多神教(?)のような文化の国とでも違いがあるはずと思います。
特に現代は科学教(井沢元彦さんの本で読みました)みたいなもので、理屈をほしがりたがりますが、
では、何故人を殺してはいけないのかという人には、「あなたは人を殺していいと思うのか?」
と、言いたいです。
「人は殺してはいけない」
普通なら、教えられなくとも、愛情あふれて、育てられればこう考えるはずだと思います。
ただ、いろいろな境遇の人の社会には、やはり道徳は必要と思います。
いい本です。




梅原猛の授業 仏教
販売元: 朝日新聞社

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 著者はまず、なぜ宗教が必要かということを考えさせる。神がなければ文明も道徳も存在しない、という考え方を中学生に紹介することから始める。
 「カラマーゾフの兄弟」の内容やいつまでも続く日本の家庭内殺人、企業の不正行為などについて考えさせ、軍事的侵略を伴う西洋文明及び、科学技術文明が引き起こしている最近の深刻な問題についても眼を向けさせた後で、生徒たちに意見を述べさせている。
 著者は現在の状況がこのまま続けば近い将来、人類は滅びると考えている。自分の世界だけにこもらず、広い視野でものごとをとらえ、主張していかなければ社会の流れは変えらない。そこで、仏教思想にこそ人類の諸問題を解決するヒントがあると思い、長年研究されてこられた成果を誰にでもわかるように、わかりやすくこの本で説明されている。




梅原猛の授業 仏になろう
販売元: 朝日新聞社

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 梅原猛の授業シリーズ「仏教」「道徳」に続く第3弾です。前の2冊は中学生に対する授業でしたが、今回は「朝日カルチャーセンター京都」で行われた大人を対象にした授業です。
 前2回の授業を踏まえた総集編という感じがします。
 大人対象ですが、やさしく説明しておられ、また、各回の授業内容の構成もまとまっていて、仏教の全体像が大変分かりやすく勉強になりました。
 ただ、最後の円空についての授業だけは、梅原氏が今一番興味があることなので、これだけは話さずには居れないという感じが良く伝わってきておもしろかった。




梅原猛の『歎異抄』入門 (PHP新書)
販売元: PHP研究所

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仏教知識に乏しい私でも、一弟子からみた親鸞の強烈な人間・自己分析とゆるぎない信仰心をわかりやすく説明してくれる名著。氏のあふれるような深い学識から生まれた啓蒙書として非常にすぐれた作品だと思う。




梅原猛の『歎異抄』入門
販売元: プレジデント社

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梅原猛の『歎異抄』入門
販売元: プレジデント社

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梅原猛、日本仏教をゆく
販売元: 朝日新聞社

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仏教の変遷が分かったのはGood。ただ、私のような素人には、「空海」や「日蓮」など馴染みの人物以外は分かりづらいか。
地名や人名が多いのはしょうがないと思うが...。素人向けの専門書といった感じでしょうか。




梅原猛著作集〈10〉隠された十字架 (1982年)
販売元: 集英社

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梅原猛著作集〈11〉水底の歌 (1982年)
販売元: 集英社

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梅原猛著作集〈12〉さまよえる歌集 (1982年)
販売元: 集英社

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 赤人は自然詩人か、この常識を否定するのが本書第一部の主旨。叙景の背後から聞こえる神々と霊魂のさわぎを聞き取ろうとする。赤人は自然詩人と言われるが、彼の自然を見る眼には選択が働いている。富士山、伊予温泉、神岳、春日野、真間、玉つ島、吉野、いわばそういう場所は、神々や霊魂の住む場所であった。彼がそこで見たものは、単なる自然ではなく、むしろその背後にある神々や霊魂であったと言う。鳥の歌が多いのも、死霊の世界を見ている霊の詩人であったことを意味すると言いきる。
 もう一つ、人麻呂と赤人が同一人物であるという説である。人麻呂は文武帝あるいは聖武帝の后と通じて、明石あるいは東国へ流されていたが、後に『万葉集』選集のために許されて、赤人となったという奇怪な話である。著者はここに一抹の真実が隠されていることわ明らかにする。人麻呂=流人説はまず間違いないとする。
『さまよえる歌集』は、思想的には『水底の歌』の後編に当たる。柿本人麻呂が石見の国で水死したとしたら、『万葉集』全体の意味が変わってくる。本書は人麻呂怨霊の鎮魂者として赤人をとらえる斬新奇抜な万葉論である。
 の
 


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