本書は幼稚園、保育所向け雑誌「ないおん」に「仏教・ちょっといい話」という題で連載されたものをまとめたものである。題は原題の方がいいと思う。子供向けの本と見られたのでたぶん売れなかったのだろうと思う。
この本はもちろん子どもや若い人にも読んで欲しいが、何より大人に読んで欲しいと思う。特に私の印象に残ったのは「ただ『焼けた』だけです」という話。
ある仏教学者の家がとなりの家の失火ですっかり焼けてしまい、大事な論文も蔵書もみな灰になってしまった。はじめ学者は隣家の人を怨むことしきりであったが、しばらくしてはっと気が付いた。
「法句経」の「怨みに報いるに怨みをもってしてはならない。怨みをすててこそ、息むのだ」という教えを思い出したのだ。そこで彼は何とか隣人を緩そうと努力を始めた。
それまで彼は隣の人に家を「焼かれた」と考えていたのだが、色々と考えた末、結論に到達した。
自分の家は、隣家に「焼かれた」のでもなく、自分で「焼いた」のでもなく「ただ焼けた」のだということに気が付いたのだ。(以上、要約)
これはなかなか高度である。しかも非常に重要な視点である。この考え方が社会に共有されるようになれば、世の中平和になるであろう。
内観という精神修養法がある。現在では心理療法や企業教育などにも応用され、世界的にも注目されている。
その方法は一週間、研修所などにこもって、他人から「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」の3つの観点から自分の過去を見つめ直すというものである。
「してもらったこと」と「して返したこと」を調べるというのはバランスがとれているが、「迷惑かけたこと」は調べても「迷惑かけられたこと」は調べないのである。これは一見不公平なような感じを受けるが、「迷惑かけられたこと」は我々、日常的にいつも「調べて」いるのである。内観がだんだん深まってゆくと、この「ただ焼けた」という客観的事実に到達し、被害者意識を乗り越えることができるのである。
これこそまさしく、釈尊が説いた八正道の第一番目、「正見」ではなかろうか。
ちなみにこの「ある仏教学者」というのは浄土真宗の学者、安田理深氏のことであることが、偶然ネットサーフィンしていて分かった。