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和書 492182 (187)



環境のなかの毒―アオコの毒とダイオキシン (ポピュラーサイエンス)
販売元: 裳華房

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環境の評価と意思決定 (都市研究叢書)
販売元: 東京都立大学出版会

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環境の美学―ムラの風景とアメニティ
販売元: 論創社

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環境の理解―地球環境と人間生活
販売元: 三共出版

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環境の倫理〈上〉
販売元: 晃洋書房

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環境の倫理〈下〉
販売元: 晃洋書房

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現代社会の倫理を考える〈第11巻〉環境の倫理学 (現代社会の倫理を考える (11))
販売元: 丸善

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ジープの「コスモス倫理学」を紹介している。その中で「コスモスとしての自然」を期待するのは人間であり、規範を導出するのも人間であると説明されている。「期待」という概念で、人間の主体性や自律性(精神性)を弱める意図があるのかもしれないが、人間は自然に何を期待するというのかもっと具体的に説明してほしい。比喩的に「神が創造した自然の善性を信頼する」というのなら理解できなくもないが、真意ではないだろう。
 人間の自律性ではなく、ある理想的で総体的な自然が出発点になると言うが、どういうふうに理解したらよいのだろうか。「超越者(神)が創造した総体的な自然の声に耳を傾け、神の期待に添うように(自然の善性を維持し、完成させるように)人間は自然に対して行為しなければならない」といった比喩的な表現なら理解できなくもないが、恐らく真意ではないだろう。
 人間と自然の相互承認ということも言われているが、コスモス倫理学から、自然が人間を承認するということをどのように説明しようというのか?「あたかも自然が人間を承認するごとく(そう思えるように)」人間が自然に振舞えというようなことはまさか言わないだろうが。そうなら、私たちは人間という視点や属性を離れることが決して出来ないという意識をもっと強くもつことの方が大切ではないのか?「実践的自然哲学」という概念は私には分りにくかった。
 環境倫理の言う「種の絶滅」の回避についても考えさせられた。私たちに「無関係な種」の絶滅を防ぐ運動をすることは日常的には難しい。また、明確な意図をもってある種の絶滅を考える人もいないだろう。私たちが意識すべきことは、環境破壊を防ぐということに尽きるのかもしれない。
 しかし、ゴキブリや蚊の種が絶滅することを願うのは誤っているのだろうか?恐らく誤っているだろう。環境倫理の基本的考えに従えば、人間が勝手に種を選択して、その絶滅を願うということは許されないことだから。







環境破壊―社会諸科学の応答
販売元: 文眞堂

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環境破壊の構図を読む―地球再生への道 (現代を読む)
販売元: 時事通信社

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環境破壊のメカニズム―地球に暮らす地域の知恵
販売元: 北斗出版

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良い本です。温暖化、ゴミ問題など、様々な社会的問題を取り上げ、その原因となるシステムや行政の不備を、多数の資料を交えて指摘していくところは、読んでいてなかなかためになりました。
ですが、やっぱり著者は地方公務員なんですね。つまり、自らの既得権は手放さずに、人には手放せ手放せと言っていると。
何言ってんだか。


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