本書は「人間がいかにテクノロジーとやりとりするか」がテーマというノーマンの幅広い観察記録であり、主に日常的な事物にノーマンの視点で切り込んでいく形だ。
まず冒頭の学芸会とビデオ撮影を巡るテーマでは、「記録がイベントに優先している」という指摘にだれしも大いに頷くことだろう。「家庭雑誌に見るキッチン」では、実用性よりも見かけを重視したキッチンのデザインに疑問を投げかける。この中にある「何か新しいものを買う場合の4問テスト」というのは非常に有益で、見習いたいと思う。冷蔵庫のドアに貼り付けたメッセージの存在で冷蔵庫が家のメッセージセンターになっているという話や、時刻の表記方法を巡る話、自然界のパッケージの話、進化とデザインの違い、などはテクノロジーを巡るエッセイ風の内容で興味を持って読んでもらえると思う。電子的なコンパニオン、さらに進んで知性の機械化という将来の方向性に関する考察がなされている「テディー・ベア」では、今後の議論の基本となるような反論が提示されている。
本書では「誰の-」と同じような認知そのものに関わる議論ももちろん含まれる。「ハイテクじかけ」「愚かなデザイン」「ウインカーは車の表情」「百万回に1回のこと」「コックピットのコーヒーカップ」などの章だ。「百万回に-」や「コップピットの-」では事故の事例を通じてフライトクルーと計器の認知について、非常に重要な指摘が述べられている。これらは我々の日常的な所作にも通じる指摘だ。最終章の「書くことととデザインすること」は立派な文章読本、作文講座となっている。分野を問わず、参考になる指摘だ。
”モノ””サービス”etc.幅広い対象に応用可能な内容である。
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進むべき先を見つけにくい/見失いやすい 現代社会において、
人生という「一刹那」を満足させるための「快楽」にむけての"道具””モノ””サービス”という見方を私たちは安直にしてしまいがちだが、
(またそういう見方を考えるほうが、非常にラクなのだが)
この本は、
真に人類が進歩するに必要な(=後世に継承していくべき)"道具””モノ””サービス”とは何か、という視点に関する、
大いなるヒントが得られるであろう一冊と感じた。
普段、世の中に折々に感じられる"閉塞感”が、
実は「人間とテクノロジーのあり方」(特にテクノロジーに対する人間の見方)
に起因する部分少なくないことにも、はっと気付かされる一冊。
多くの実例をあげながら魂のないはずの「モノ」に起きていることを考察する。
「生命」と「非生命」の境界線はどこにあるのか、改めておのれに問い直させる問題作である。