有機的に作物を作る場合と化学肥料を投与した作物の収量を10年間対比した実験結果が有機の方の収穫量がやや多いとなったことを指して、「こういう研究が出ているにもかかわらず日本では化学肥料が全盛ですよね。ところが化学肥料を使う農家のほうでも自分の家で食べる分には使わないで、結局自分が食べたくないものを出荷している。こういう農業には何か問題があるような気がします(P. 97)」という指摘はもっともですが、同時に農業経営や農政を巡る問題の根の深さに暗澹とさせられます。
筑波大学学長選挙で選挙参謀の村上氏が新聞記者から教わった策で劣勢にあった江崎氏を勝利に導いたこと、若手研究者の公開質問状に対して江崎氏が「若手への道」という真摯な回答を寄せたこと、私が一学生だったときには学長の考えは知り得ませんでしたが、江崎氏と村上氏の行動を知って改めてその熱意に感銘しました。
科学者は客観性や論理性を要求される本業の表の顔への悪影響を恐れて、直感的な発想や客観的になり得ない信仰や神(サムシンググレート)といった話題には意識して触れてきませんでした。村上氏にしても定年を迎えたことと十分な業績があったからこそ口に出せた面はあるでしょう。しかし、村上氏のような誠実な科学者が信仰や宗教に対して素の意見を表明したことには大きな価値があります。
欲しがらされているのだから、本当に欲しいものが何だかわからず「ムカつく」子供たち・・・
科学・技術のブラックボックス化を廃すゆとりなど、どこにもない。
現象論・実体論・本質論・・・武谷三段階論の本質が、実体に支えられたものであることは、発見前に実体としての中間子の存在を唱えた湯川秀樹氏との共同研究が示すとおりである。個人的には、科学が解決できる理学的研究は、もう残されていないと思考するが、ディベートを通じて明示する実体(モデル)・・・弁証法的唯物論の真髄もまた、現代科学では疎んじられている。
一方、現代科学の担い手:コンピュータ・シミュレーションによる研究は、今後も華やかに続くことだろうが、何かアリバイ作りのようで、全くオモシロクナイ。自己組織化のように単調な操作を繰り返すことで説明できる複雑系も確かにあるだろうが、予測を許さないカオスはもちろんのこと、実体に関する手ごたえを感じにくいからである。「最近は「複雑系」などというつまらんものが学問のような顔をして・・・」に、深く首肯した次第である。