この上巻では、1970年代以降、大陸から発見された出土文字資料を駆使して、古代書道史を展開しています。なかでもめざましいのは,258頁の呉(249年以前)の楷書の出現の指摘でしょう。これによって楷書の成立は、後漢末(2世紀末)に遡ることになりました。また、「戦国時代の筆記体」である「古文」、「秦隷」の正体についての解明も興味深いものです。
108頁には、昔は、後漢時代とされた「八分」体の発展がずっと遡ることが指摘されています。また、漢時代の小字の隷書については、特に細かく紹介されています。
巻末は、王羲之の解説です。新発見のも含め、現存の墨跡を全てチェックし、ひどい偽物や臨書を除いて、できるだけ図版をあげています。また、法帖拓本のよいものも選択されて批評されています。図版はモノクロで高9cmぐらいですが、800点以上の膨大な量で、しかも殆ど鮮明な印刷です。少しぼけてみえる図版は、中華人民共和国での粗い写真図版しか写真がない場合のようです。
この下巻では、北宋から現代までを、あつかっています。どちらかというと古代中世の書が得意なようにみえる著者としては、やややりにくいところでしょうが、簡潔に整理されています。
ちょっと特色があるのが、普通はあまりとりあげない宋、元、明時代の石刻にも目を配っていることです。これは他の本にはない独自の見識だと思いました。
北宋:蔡襄の陶生帖を賛美し、明時代では祝允明を重視しているのはさすがだと思います。戦前には祝允明はずいぶん悪口を言われたものでしたから。
日本にあるのに、普通の本にはあまりでてこない珍品もとりあげられています。呉説の「遊糸書」(南宋)、蘇舜欽「南浦帖」(北宋)、蔡松年「李白仙詩巻跋」(金)などです。
清朝では、一般には軽視しがちな帖派をちゃんと解説しているのも注目しました。
ちょっと不思議なのは、清のトウ石如の作品として超有名な篆書四幅「白氏草堂記」が、とりあげられていなかったのが、気になりました。
この中巻では、王羲之 の子の王献之の世代から始まって南北朝、隋唐 五代までを詳細に解説しています。とりあげていない有名書跡を探すほうが難しいぐらい網羅されています。唐中期の「史思明哀冊」まであげています。
近年、大量に出土している墓誌資料、大陸で再発見されたもの、ロンドン、パリにある敦煌写本など、新しく写真が公開された真跡・模写本などが、できるだけ多く紹介・批評され、めざましい集成が行われています。
85-91頁には鄭道昭の磨崖、142-147頁北斉の磨崖の現地の写真がとりあげてあるのも注目したいところです。
また、従来、知られていた名跡でも、新しく良い模写本・拓本がでた場合は、そちらを推薦されています。例えば「九成宮醴泉銘」がそうです。
書の変遷を明かにすることに力点が置かれているので、少々粗雑な書でも資料的に重要なものは取り上げるという方針のようにも感じました。