本書の中で使用する様々な映画の脚本の中で、『ワンダーランド駅で』に代表されるように、これから人生において出会う人に、もしかしたらもうすでにいつものようにすれ違っているのかもしれない。どこかで会った人と繋がって回りまわってくるのが人との縁である。
物事に関しても同じで、明日いきなりヒーローになるのではなく、結局は昔から水面には出なかったけれど、水面下で頑張ってきたことが、今花開くということを伝えている。
そして、恋愛においても映画(『Dolls』)から鋭い洞察を得ていて、携帯電話の普及によって「すれ違い」がなくなった、それは実は今の人と人における関係性の希薄にもつながっている可能性がある。お互いがすれ違う感覚も恋愛のひとつの醍醐味だが、携帯電話によってダイレクトにそしてリアルタイムに繋がることによってその感覚を感じることがなくなった。
タイトルにある「映画を観ながら成功する方法」とは、中谷さんが映画を観てきた中で「成功者として学んできたこと」が書かれている。
著者は日本映画学校に在籍し、映画の世界から文学の世界にやってきた人である。トリュフォーの「アメリカの夜」と同名の小説で群像新人賞を受賞しデビューした。(しかし、この小説は当初「生ける屍の夜」というロメロのゾンビ映画のタイトルであったことが本書では明かされている)初期の作品には映画そのものを表そうとした作品もある。このように阿部と映画とのつながりは非常に深い。
その彼の初の映画評論として注目される本書であるが、確かに映画評論としては彼の発言は、全体としては示唆でしかなく、具体的には直接体験を進めるものでしかない。(もちろん優秀な評論がないわけではないが。)しかし、それはあくまで映画評論という立場からの評価であって、この書物の本質ではない。
現在として文学の世界にいる阿部が映画を評するとはいかなることか。それは、映画に対しての阿部和重の視点を表明することに他ならない。いわば、この書物は現在"最強の純文学者”である彼の視点を読む書物なのである。
その点においてこの本のタイトルが"覚書"に留まっていることは非常に示唆的である。
"阿部和重という視点から映画の世界を覗く" それは非常にスリリングな現在体験となるのではないだろうか。