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和書 492282 (207)



大衆芸能資料集成 第4巻 (4)
販売元: 三一書房

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大衆芸能資料集成 第9巻 (9)
販売元: 三一書房

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大正テレビ寄席の芸人たち
販売元: 東京堂出版

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対談の七人
販売元: 新潮社

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 橋本治の「爆笑って小学生」ってのはまさにその通り。それに対して「とても嬉しかった」っていう屈託のなさも太田だし、反面「本当の私との間にズレがある事を感じた」って自省ぶりも太田だ。この対談はどれも「先生(ゲスト)と小学生(爆笑)」みたいだし、太田の書く「対談を終えて」は読書感想文みたいだ。
 この「小学生」って部分が、この時期、爆笑の可能性でもあり限界でもあったんだろう。爆笑に対する共感と反発もここから芽生えていて。大人社会の矛盾に小学生視線の素朴な疑問が投げかけられる時、それが新鮮に感じることもあれば、カマトトに感じることもある。いずれにしても、この対談集を読んでわかるのは、爆笑が「小学生」をキャラとして作ってる訳ではなく、天然だってことだ。酒にも女にも博打にも実際、関心がないんだよね。爆笑(って言うか太田)は素の「小学生」なので、芸能界においてはトリックスターでもあるんだけど、反面フリークスでもあるんだよね。太田ひとりだと疎外される可能性があって、そこに田中の意味がある。著述っていう“一人でOK”の場合を除いて、爆笑がほとんどピンではなくユニットで動くのも納得できる。この対談当事と比べて爆笑のポジションがステップアップしてるのも田中の存在が増しているのが大きい。でも、これからはもっと大変で、この座談会でも相手はみんな年上だけど、これからは爆笑も下の世代とますます絡んでいかなきゃならないし、そういう状況の中でいつまで「小学生」の魅力を発揮出来るかっていう。最近の太田のイデオロギー的な発言もその本質じゃなく“青臭さ”に対する共感と反発だもんね。
 橋本治がヴォネガットや志ん生を指して「語り口っていうか世界観はジジイなんだけど、ギャグがピュアな少年」って言うくだりがあるんだけど、なぞらえて言えば、爆笑には「世界観は小学生のままギャグはますます鋭く円熟みを増して」いってほしい。




対談 落語芸談〈PART3〉
販売元: 弘文出版

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対談 落語芸談〈PART4〉
販売元: 弘文出版

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対談落語芸談
販売元: 弘文出版

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対談落語芸談 (2)
販売元: 弘文出版

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対談「笑い」の解体
販売元: 講談社

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対談「笑い」の混沌
販売元: 講談社

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