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和書 492412 (379)



悪人列伝 2 (2) (文春文庫 か 2-8)
販売元: 文藝春秋

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 藤原道長の父として、また『蜻蛉日記』などでも名高い藤原兼家や、源平合戦で知られる梶原景時、「尼将軍」北条政子、最後の得宗・北条高時、『太平記』でお馴染みの高師直、そして「日本国王」を名乗った足利義満の史伝が掲載されています。 末尾に昭和42年の著者自身による「あとがき」も附記されていて、なまじ巷間に出回っている時代小説よりも、よほど興趣ある歴史読み物になっています。様々な史話が織り込まれていて、なおかつ文献批判を加えつつ記されているので、時を経ても不朽の価値を失わない名作と云っても過言では無いでしょう。  しかし、何故に「悪人列伝」の中に加えられたのか理解に苦しむ人物も含まれて居り、ここに日本の「悪人」のスケールの小ささを感じる次第でもあります




悪人海岸探偵局 (集英社文庫)
販売元: 集英社

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悪人正機 (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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 ビートたけし・泉谷しげる・吉本隆明。この3人は東京下町育ちで、塗装業、大工、船大工という職人を父に持ち、そろって下町言葉を捨てず、並外れた業績をなしても庶民感覚を失っていない人たち。本書も糸井重里のインタヴューに答える形で、知の巨人だというのに生活レベルで喩えを持ち出すので、思想というより人生訓という感じがして好感を持てる。
 吉本の著書は若いころはがんばって読んだものだ。著述には文章執筆の気負いと精確さをねらうのと思索の現場というものが詰め込んであってかなり難解なところがあったものだ。
 この本によって吉本とひさしぶりに再会してみれば、それら著書の現在的な結論が簡潔的に述べてあって、彼のこれまでの営為が分かりやすく俯瞰できた。その中には感覚的な表現も混入してあって、それは懐かしいかつての著書へリンクすることがまかせられていて、それなりに読み応えがあった。
 すごいな、と思ったのは、高齢になっても若いころの自分の著述してきたことをしっかり覚えていて責任を持っていることだ。
 オウムや黒田寛一など危ない名も出てくるが、こういうことには感覚的な嫌悪感など持ち出さず謙虚に、真摯に取り上げている。その逆にタイトル「悪人正機」の由来に繋がることだが、正義を他人にまで押しつけ社会全体が一色に染まらないと気分が悪いという人たちへの嫌悪感も健在で心強い。将来「単一民族」意識のある日本が戦争などヘンな方向に向かうとき、このような人物が再来することを願ってやまないと思ったものである。
 彼を中学校へ招いて放課後の学習会をお願いするなら、彼がどんなにかみ砕いて話をしたとしても理解できないかもしれないが、彼に接した子どもたちには人生上の事件になり、進路を左右することは間違いない。ちなみに教科は、数学、理科、社会、国語かな。私立なら宗教も。




悪人列伝 (1) (文春文庫)
販売元: 文芸春秋

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 「悪人列伝」は海音寺潮五郎の史伝のなかでも最も優れた作品集と言えるであろう。さりながら、蘇我入鹿や弓削道鏡、平将門ら六名を扱ったこの文庫第一冊目は、著者の学者肌が際立った考証的文辞や時代柄とはいえ歴史上の天皇に対してまで過度の敬語を使用する古めかしさが、やや気に懸かる点で4つ星に留めおきたい。藤原薬子や道鏡がタイトルに上げられているが、その実、作者が「悪人」と見ているのは、愚かしくも身勝手な孝謙・称徳女帝や平城上皇であることは明白なのだから。むろん歴史好きな方々には是非とも一読をオススメする次第である。




悪人列伝 (3) (文春文庫)
販売元: 文芸春秋

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 応仁の乱(日野富子)から戦国初期(松永久秀)・中期(陶晴賢)・後期(宇喜多直家)・江戸初期(松平忠直・徳川綱吉)と、バランス良く選ばれています。

 悪人列伝の1・2巻では、「悪いのは当事者じゃなく、当事者を取り巻く時代が彼(彼女)をそうさせたのだ」と海音寺氏が弁護する仕掛けだった。その為、必要であれば先祖の成り立ちから時代背景までを説明し、ややもすれば当人に割かれる紙数がなくなってしまうという事もあったけど、この本は違う。時代背景や生まれ育った境遇もあるんだろうけど、弁護する気になれないヒトが多い(苦笑)。

 例えば宇喜多直家。武将列伝・斎藤道三伝にも匹敵するような奸計の数々。爽快感の無い成り上がり方ですな。戦国武将贔屓の海音寺氏にも蛇蝎の如く嫌われるその行動は、ベスト・オブ・悪人と言っても差し支えないでしょう(苦笑)。

 例えば松平忠直。バカ殿一直線。封神演義での[糸寸]王とも充分肩を並べる事が出来る残額っぷりだし。

 逆に、陶晴賢なんて「どこが悪人なの?」と思える書かれっぷりで、弁護どころか普通に「武将列伝」になっているんですけど。どっちか言うと、謀反を起こされた大内義隆の方がアレだよなぁ。




悪人列伝 (4) (文春文庫)
販売元: 文芸春秋

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 大槻伝蔵、天一坊、田沼意次、鳥居耀蔵、高橋お伝、井上馨の6人。どんな人間かを知っているのが田沼・井上の2人、天一坊は名前をちらっと聞いた事がある程度。残り3人はまるで知りませんでしたわ。

 戦前から戦後初期までは、講談というものが一般的だったのかな、そこで語られていた人物をピックアップしているのだろうけど、「人物紹介」的な『武将列伝』と違い、「世間から悪人と評されている人物の弁護」的な位置づけの『悪人列伝』で、その弁護される人物を知らないというのは、話を楽しもうとしている側としては辛い。論点が分かんないんだもん。

 それでも読ませる内容にしちゃうのが海音寺氏か。悪人に仕立て上げられたらしい大槻伝蔵、質の悪いウソで身を滅ぼした天一坊、ミスター汚職の小才老中・田沼意次、能なしスパイ警察署長の鳥居耀蔵、前半生と後半生でヒトが違うんじゃないのかという井上馨。高橋お伝はよく分からなすぎた。

 『武将列伝』では江戸期は3人(徳川家光、西郷隆盛、勝海舟)なのに、『悪人列伝』では7人(3巻の松平忠直、徳川綱吉に、大槻伝蔵、天一坊、田沼意次、鳥居耀蔵、井上馨。高橋お伝は完全に明治)。それだけ、海音寺氏が江戸時代の人物を評価してないのか、戦国期のような人物本位ではなく組織本位の幕府体制の中で個性を前面に出せるような人物が出現し得なかったのか。

 本文じゃないけど、解説の綱淵謙錠氏の文章が良かった。




悪人列伝 (近代篇) (文春文庫 (か2-51))
販売元: 文芸春秋

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 近代の激動の時代に「活躍」した「悪人」の生きざまを生々しく描き出す。もちろん人間であればだれでも、聖人の面も悪人の面もあるわけだが、一般に「悪人」とされる人々が選ばれている。
 膨大な資料や深い洞察を経た物語は、読み応えばっちりだ。
 鳥居耀蔵などは、どんな立場や見方でも、「悪人」に間違いないだろうが、田沼意次などは近代の先駆として近年では再評価されている。「ルネサンス的」というか清濁併せのむ部分がどうしても偉い人にはある。何をもって「悪人」とするべきか、色々と考えさせられる。




悪人列伝 古代篇 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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日本史上「悪人」と呼ばれる人物を考察したもの。本書は古代編で対象は、「蘇我入鹿」、「弓削道鏡」、「藤原薬子」、「伴大納言(善男)」、「平将門」、「藤原純友」。本人を論評するのではなく、「何故、彼らが悪人と呼ばれるようになったのか」を時代背景などを踏まえて考察している点が特徴である。

「入鹿」の章では蘇我氏の興亡がメインで入鹿はその最後の一コマ。目玉は蝦夷天皇説だが、私は天皇制なる制度は鎌足・不比等が確立したと考えているので、本説には賛同できない。鎌足が蘇我氏の手法をベースにしたとは思っているが。「道鏡」の章では孝謙天皇を中心に描かれる。だが、男女の愛欲に比重が置かれ過ぎ。仲麻呂が天皇の位を狙ったという可能性は高いが、道鏡は実は清廉潔白な僧侶だったと言うのが近年の定説。全ては権力闘争なのだ。「薬子」の章では平安遷都の理由を"大魔王"祟道の祟りに求める辺り、梅原氏の"怨霊史観"を想起させ面白い。男性陣とは異なり、「悪女はやはり悪女」と言う結論も説得力(?)がある。「善男」の章では他の人物と比べ知名度が低いせいか、本人の生涯を細かく追っている。悪人と言うよりは、現代で言うと出世欲に取り憑かれた官僚のようだ。冒頭から本章までは、鎌足から良房に至る藤原氏の興隆の足跡を辿っているかのようである。「将門」の章でも前半は藤原氏の専横と"怨霊"道真、そして武士の発生が語られる。将門の乱の背景である。五代の後胤だが低い扱いを受けていた将門が"成り行き"で蜂起した様子が詳細に描かれる。京の公家に対する地方武士のレジスタンスの先駆けだったのだ。「純友」の章では将門と時を同じくして蜂起した純友の乱を、朝廷の財政(土地)問題、東アジアの動乱期、瀬戸内海賊の横行との関連性で切って見せる。

史料の綿密な考証と作家としての奔放な想像力で歴史マニアを楽しませる快作。




悪人列伝―中世篇 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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日本史上「悪人」と呼ばれる人物を考察したもの。本書は中世編で対象は、「藤原兼家」、「梶原景時」、「北条政子」、「北条高時」、「高師直」、「足利義満」。本人を論評するのではなく、「何故、彼らが悪人と呼ばれるようになったのか」を時代背景などを踏まえて考察している点が特徴である。義満と政子を除くと古代編等より人物が小粒で、必ずしも「悪人」の評価が定まっていない人選に思えた。

「藤原兼家」の章ではむしろ花山天皇の色乱ぶりがメインである。後は兼家・兼通兄弟を中心とする藤原氏内の権力闘争。兼通を兼家と誤記している箇所があるのはご愛嬌か。"天皇を出家に追いやったのは史上兼家だけだ"と著者が語っているのは勘違いだろう。藤原氏の中には大勢いる。「梶原景時」は義経ビイキには仇役だが、頼朝派から見れば忠実な家臣だったから、「悪人」に入れるのは不適切。内容も凡庸。「北条政子」の物語は人口に膾炙していて目新しくないが、北条時政の政治的センスが光っていた事が再確認できる。「北条高時」は暗愚な執権として有名だが、「悪人」とは思えない。記述も時代背景を主体にしている。「景時」以降の三編で鎌倉時代の初頭と末期を描いているとも言える。「高師直」は好色で有名な足利家の執事だが、南北朝の放埓な空気(婆娑羅)が生んだ小悪党だろう。「足利義満」の章は「師直」の続編のようで、"大魔王"義満を取り上げたにしては物足りない。義満の怪物ぶりを強烈に描いて欲しかった。義満の突然の死に疑問を呈さないのも著者らしくない。

「悪人」伝とは思えないが、史料の綿密な考証と作家としての奔放な想像力を基に書かれており、歴史マニアには楽しめる本。




悪魔と神 (新潮文庫 赤 120D)
販売元: 新潮社

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