戻る

前ページ   次ページ

和書 499784 (77)



偉人たちの死亡診断書―マルクスの肺ガン・家康の食中毒
販売元: PHP研究所

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ (中公新書)
販売元: 中央公論社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

イスタンブールに関係のある12人の著名人について纏めた良書。特に、ナイチンゲールの章は勉強になった。




イスラエル空軍 (新戦史シリーズ)
販売元: 朝日ソノラマ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

イスラエル空軍の当事者達が描いた実話を集めたもの。中東戦争の実態などの生々しい記述が素晴らしく、危機一髪という事態を乗り越えてきた様々な人の証言が収められています。実戦ではありませんが、訓練中の空中衝突で片翼を失ったF-15が墜落を免れて基地まで帰投する話しなど驚愕の記録もあります。誠に残念ながら翻訳のクオリティが低く、読者を失望される可能性があります。英語版"G-suite"又は原語版(現代ヘブライ語)でお読みになる方が良いかもしれません。




イスラム再訪〈上〉
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 ナイポールは小説家としては面白いし、楽しいものを書く。ラシュディみたいに偉大といえないけど。でもこれはひどい。ナイポールが一時完全に忘れ去られたのも、このどうしようもない偏見のせい。この本によるとイスラム教はすばらしいヒンズー教や仏教に、野蛮にも取って代わった新興宗教で、こんなの信仰してるから人々が不幸になるのだと。前に戻るか、キリスト教に信仰を変えればまず不幸から脱出できるそうだ。
 イスラム教国家がもつ現在の苦境は歴史的な残物で西洋列強の抑圧の負の遺産でもあるし、過去には輝かしい文化的栄光もある。キリスト教社会も誕生以来ほとんどはさえなかったし、そこら辺は歴史的な盛衰は簡単にはいえないんだけど。そこら辺はすっぽりぬけているのですね。
 ラシュディのあの判決を受けた本はイスラムという大きな存在に対する恐れとそれをなんとか克服するための必死のカリカチュアが感じられたけど、この本はカルーイ軽蔑しかない。
 ネオコン御用達、名誉西洋人のイスラム本。




イスラームの国家・社会・法―法の歴史人類学
販売元: 藤原書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

新潟の国際大学大学院で教鞭をとられていた有名な方の著書ということで、期待をもって読ませていただきましたが、まさに期待通りの作品です。

最近、テロ関連など中東情勢に関してコメントされるのをよく耳にしますが、彼らはごく一部の知識しかなくある一定の側面からしか解説しないので本当の意味でどうしてその問題が起きたのか、彼らはどういう国民性をもち、どのように国家は形成されてきたのかなど、ご存じない方が多いように思えます。

本当の意味で、最近の中東情勢を理解されたい方、ぜひお勧めです。黒田教授の豊富な経験(現地で数十年の生活経験有り)や知識に裏づけされた大変すばらしい内容となっています。ぜひ、お勧めです。




泉への細きわだち―元特攻隊員がたどった心の軌跡
販売元: いのちのことば社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 優れた自伝は、著者のことを語るだけでなく、著者の人格を形づくった時代の空気についてもよく語ります。副題からも分かるように本書の著者は、出撃直前に終戦を迎えた元特攻隊員です。戦後の混乱の中でキリスト教に出会い、献身し、牧師としての奉仕をまっとうして、天に召されました。
 著者は、自らがそれに流されつつ育った軍国主義の激流に対して批判的な目で見ています。しかし、戦争の時代であれ平和の時代であれ、人間の究極の課題が罪と死の解決にあることを見逃しません。そして、その解決であるイエス・キリストの福音と教会について語る著者の凛とした語り口とその生き様には、ポストモダンの時代にどっぷり浸かりきってしまった私たちの世代には見いだし難い--しかしだからこそ傾聴しなければならない--シンプルで力強い響きがあります。
 戦後日本の福音派の良き源流の一つがここにあります。




磯崎新の革命遊戯
販売元: TOTO出版

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






異端審問 (文庫クセジュ)
販売元: 白水社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






異端カタリ派の研究―中世南フランスの歴史と信仰
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






異端審問 (講談社現代新書)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 本書の冒頭で、1415年7月6日、宗教改革の先駆者ボヘミアのフスが火刑に処せられるまでの様子を、当時の資料より再現します。異端審問とはいかなるものであったかを強く印象付けるものです。
 異端審問は、12世紀に端を発するカタリ派への弾圧の過程で生まれます。正式な異端審問の始まりは、1231年あるいは1333年の法王勅令によると考えられていますが、12世紀にはすでに異端審問と呼べるものが始まっています。こうして生まれた異端審問は、13世紀後半以降、南フランスで制度化が進展し、14世紀始めに異端審問官「ベルナール・ギー」の登場で一定の完成を見ることになります。その後異端審問はイベリア半島に舞台を移し、改宗ユダヤ人や元イスラム教徒への苛烈な弾圧となって行きます。
 本書は主に、13世紀から、ベルナール・ギーの登場する14世紀まで、南フランスでの異端審問の展開に多くの資料を参照しながら、スポットを当てていきます。当初は必ずしも統一されたものではなかった異端審問が、やがて文字通りに「マニュアル化」され(その代表がギーの「異端審問の実務(プラクティカ)」)、異端審問官たちによって統一的で苛烈な裁判が執行されるようになって行きます。
 苛烈な処罰の一方で、審問の手続きは、滑稽なまでに律儀で官僚的なものでもありました。「動物裁判」を大真面目に執行したのと同様、中世人は手続きを重んずる心性があったようです。このことは、後々、法の前での平等、法治主義をヨーロッパが生み出すことと関係があるのかもしれません。
 本書は、最後にイベリア半島での異端審問を概観して終わります。一般のイメージでは「異端審問=スペイン」というイメージが強いと思いますが、本書はその前史として異端審問が制度化されて行くプロセスを主題としています。


前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ