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和書 499786 (190)



わたしの日本学―外国人による日本学論文集 (〔1〕)
販売元: 文理閣

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わたしの日本学―外国人による日本学論文集〈2〉
販売元: 文理閣

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わたしの日本学―外国人による日本研究論文集〈3〉
販売元: 文理閣

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わたしの日本学〈4〉外国人による日本研究論文集
販売元: 文理閣

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わたしの日本学〈5〉エッセー集“わたしの見た日本”1998‐2002
販売元: 文理閣

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わたしの昭和史〈1〉少年篇 (新潮選書)
販売元: 新潮社

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 本書を「自叙伝」と銘打つことを避け、「日記でたどる個人物語」という謙虚な名付け方をしている。昭和10年生まれの著者の小・中学生時代に書かれた日記、作文など、大切に保存していたものに基づき、鮮明に、確かな眼で昭和史が活写されている。どのページを読んでも生き生きと戦中戦後の当時が浮かんできて、過去でありながら歴史的現在であるかのごとく思われる。ただ、ここでは著者の精神形成につながる二つの断章を抜き出すことに留めたい。
1.「子供は瞞されやすいというような話だろうか。わたしはそうは思わない。瞞した者もいなければ、瞞された者もいない。日本の国家全体がある「確信」のなかに生きていた。わたしは今でもそれを疑わない。過去はわたしの目に曇りなくくっきりと見える。日本人は宿命のなかを確然と生きていた。決してひるんではいなかった。死はわたしたちの目の前にあった。しかし不自由であったというのとは違う」(82〜83ページ)
2.「つづけてわたしは民主主義は現代でこそ最上主義とされているが、後の時代にはどうなるか分かったものではない、という相対主義を述べている。終戦という「価値転換」を潜り抜けたわたしには、子供心にもいつも現代の不確かさへの自覚、政治的に確実なものなど何処にもないいう不安な予感があった」(286ページ)
 単純に図式化すれば、1.戦中の「確信」→ 2.戦後の「不確かさ」に生きた西尾少年は、「不安の予感」があって、それをどう乗り越えていくかによって、爾後の日本のあり方への発言に通じる(雅)




わたしの歴史遍歴―人と書物
販売元: 吉川弘文館

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わたしの鎌倉物語―あの頃の鎌倉ふるさとの鎌倉
販売元: リーブ企画

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わたしの長浜―30年前のふるさと
販売元: 郷土出版社

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わたしは誰の子?―父を捜し求める日系二世オランダ人たち (教科書に書かれなかった戦争)
販売元: 梨の木舎

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日本が関わった戦争の犠牲になった人は多い。しかし、日本人にとって戦争は加害であると同時に被害でもあった。それが、日本軍の横暴と、それについての日本人一般の戦争犯罪への意識を複雑にしている。この書は、日本人による、日本の戦争を取り扱った書にありがちな教訓的で怒鳴りつけるようなところがなく、あくまでも、いわれのない差別のまなざしの下で困難な生を強いられた女性3人の心の遍歴を彼女たちの苦しみに寄り添って丁寧に描くことで、かえって戦争に翻弄された日本人に対しても暖かいまなざしを注いでいる。それがこの書の強さであると思う。著者が訴えているのは、人間存在の尊厳であり、どんなに異常な社会が訪れても人間存在の尊厳を失わずに生きることの尊さであると思う。今、安易な「日本自我礼賛」「国家主義」がまかり通る中、日本人にとって考えるべきメッセージが多い。


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