戻る

前ページ   次ページ

和書 499786 (387)



日本社会の歴史〈上〉 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 刺激的な歴史書の数々で著名な網野善彦氏による、全三巻の日本通史。三巻を通じて全12章、最後の第十二章は「展望」として17世紀後半から現代までを一章で纏めているが、それまでの全十一章分では、網野氏による他の著書で触れられていた論点がふんだんに盛り込まれた上で、各章・各節がコンパクトにまとめられ、かつ読者に対して説得的に書かれていて読みやすい。それは例えば、取り上げられている時代の技術はどんな種類のものであったか、取り上げられている時代に生きていた人たちは地域ごとにどんな暮らし方をしていたのかなどが、政治的・経済的変化や発展と共に必ず書かれていることによって、読む者が各時代の様子を想起しやすくなっている。学校歴史が断片的でぶっきらぼうでのっぺらぼうなのとは大きな違いだ。

 この上巻は先史時代から平安時代中期、9世紀後半までの出来事が取り上げられているが、まずこの巻全体で北海道・東北北部、沖縄諸島は「日本国」に含まれていない。北では縄文時代の後に続縄文文化、擦文文化と続き、北東アジア・オホーツクの影響をたびたび受けていたこと、沖縄北部はむしろ中国大陸と強く結びつき、先島諸島は台湾・東南アジアの文化と類縁性を持っていたこと、この事実は何度も著者によって注意を喚起される。
その上で、東北北部を除く本州・四国・九州も、閉鎖された領域で歴史を重ねたわけではないことも、この巻、というより全巻を貫くテーマになっている。中国大陸・朝鮮半島・日本列島という大陸・半島・列島の海を通じた関わり合いが日本国の経済的・社会的・文化的・政治的状況をかなりの程度規定していたという眼差しがこの著書を刺激的にも、説得的にも、また論争的にもしている。日本人が誰でも普通に使う「日本」という名称が列島内の部族にも地名にも由来せず、太陽信仰を背景にした、中国に対する方角に基づく「日の昇るところ」という語義であることからも、大陸・半島との深いつながりを想起出来る。(半島から膨大な技術と知識が流入し、白村江の戦いで半島と縁遠くなったことが日本国を成立させたことを含め。)
 一見平坦で栄華を誇ったかのように思われがちな平安時代が、政治の領域では不穏な動きを繰り返していたこと、律令による統治がどれほどの効果を持っていたのかということなど、通読すれば日本史についての予見を変更させられることが多い。




日本社会の歴史〈下〉 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 下巻は、教科書的に言えば建武の新政から徳川三代による幕藩体制の完成までが三章に渉って記述され、終章に「展望」として17世紀後半から現代に渉る要約と、網野氏自身の意見が述べられている。網野氏によると、明治政府による歴史教育の刷りこみによって農本主義的日本、単一民族としての日本、島国として閉鎖されていた日本というイメージ、中国人・朝鮮人に対する蔑視感情、江戸時代に対する否定的見解が一般に流布されたのだという。個人的には、戦後のアメリカによる、アメリカの為の、東アジアへの戦略的枠組の強制的構築が更に大幅に大陸・半島・列島の関係を歪めた気がするが、この三巻本は、そんな明治時代に作り上げられたとされる臆見を打破する記述が方法的になされている。
網野善彦氏の著作に共通した要素だが、このシリーズも、読んで元気が出る日本史だ。




日本社会の歴史〈中〉 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 中巻は菅原道真が宇多天皇に起用される場面から鎌倉幕府の滅亡までが扱われる。この巻全体のモチーフは、すでに確立されていた「畿内の権力に対する関東の勢力のチャレンジ」で、その過程で関東の勢力が大陸・半島と通商関係にあった九州の勢力と連携を模索したり、畿内の権力は瀬戸内海や東北の勢力を抱え込もうとしたり、また天皇と上皇と摂関家、武士、寺社勢力の絡み合いという「平家物語」的関係の束が荘園・公領からの、また多彩な職能民が生産する、あるいは大陸・半島との貿易が産む利益を巡って争う生き生きとした姿がこの巻からは読み取れる。平安後期も、鎌倉期も、何かとても生臭い、血の匂いがする不穏な時代として読む者の前に現れる。この巻の最後に、いったんは関東を根拠地に築き上げられた東国王権は火を放たれて焼け落ち、崩壊する。

 物語的ドライブ感が展開されている1冊。




日本の誕生 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 天皇を核とするヤマトの古典的国制(194頁)が、中近世の国制と重複しながら、基層として現代にまで持続してきたと考える、1933年生まれの日本古代史研究者が、日本の相対化のために、特に東アジア世界の国際的交通に注目し、日本の成り立ちの序説(主として弥生〜平安期)として、1997年に刊行した本。本書の主張は、第一に親魏倭王権の重要な機能が、朝鮮産鉄資源の狭い流通路の掌握にあったこと、第二に4〜6世紀に中国の姓の制度が周辺諸国に継受されたが、中国の冊封体制から離脱し、朝鮮諸国の国制を継受しながら、小中華帝国への道を選択した倭王権は、自ら倭姓を捨てたこと、第三に特に4世紀後半以降、倭の各地と朝鮮の間の双方向の人口移動が活発化したこと(特に任那(75頁)と飛鳥)、第四に推古朝の国制改革の起点が、600年遣隋使のカルチャーショックに求められていること、第五に唐・統一新羅の成立に伴う国際的な動乱に対処するための、東アジア諸国(朝鮮、吐蕃など)の権力集中政策の一環として、蘇我氏の専横と大化改新(豪族からの王権の制度的自立)が、更には律令国家の早熟的形成(氏族制との二重構造、家制度の萌芽)が見られうること、第六に壬申の乱に伴う日のイデオロギーの高揚の中で、伊勢神宮の地位向上と、中国を意識した日本(東方)の国号の成立が見られること、第七に墾田永年私財法は公地公民制の解体ではなく、耕地の実態把握に寄与したこと、第八に平安初期に天皇の地位の制度的確立、神仏習合の始まり、個人名の唐風化、梅から桜への美意識の転換、いろは48字の成立、穢れ観念の肥大化が見られ、それは唐宋変革期における東アジアのエトノス形成の一環であったこと、等である。どのレベルに達した場合に「確立」となるのか等の疑問は残るが、国際情勢を踏まえた上で日本の変化を再検討し直す本書は、非常に興味深い。





日本文化の歴史 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 今でもそうなのですが、「日本人はお上に弱い」とか「日本では個人が育たない」と日本をけなす「日本人論」がある一方で、「日本には独自の文化がある」とか「和魂洋才だから近代化が実現できたのだ」といって盲目的に日本を礼賛する「日本人論」が繰り広げられています。

 しかしこの本の著者は、歴史資料を駆使して上記の「日本人論」はまったく根拠薄弱で歪めれられたものでしかなく、その元となったものは高々明治時代以降の近代天皇制国家成立後の話でしかないことを証明しているのです。

 そして、文化史的視点を元に「壬申の乱」や「太平記」、「桜田門外の変」などの歴史的事象を分析し、日本人は決して昔から「お上」に弱い存在ではなく、権威に対して反抗的なところが多かったことや、独裁政治に対するアレルギーが強かったことを挙げています。
 
 さらに中国や韓国とは異なり、純粋な宗族制度が形成されずに雑多なものとして残ったことや、儒教が生活領域にまで浸透していなかったことにより「公」概念のずれが生じたことや、さらにはそのような共同体の中での関係から個人が構築されていったことをのべ、個人形成に関して歴史的背景の異なる西洋と優劣比較することの愚かしさを述べています。

 その上で徳川幕藩体制のあり方が日本の社会構造をよく反映したものであり、その中で武士が単なる職業軍人ではなく技術者としての技量がより重視されていたことなどが説明されており、そのような歴史的省察を欠いたままで西洋流の個人概念を押し付けることの愚を痛烈に批判しているのです。

 他にもいろいろ面白い話がありますが、今までの「日本人論」を根底から覆すこの著作は、大変コンパクトでかつ的確な本としてお勧めできるものです。




日本海繁盛記 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 阿部謹也の世間論をもって日本でもやっと個人の内面ということが考えられるようになってきた。
 特に戦後、なぜ多くの人がコロっと転向したのかという謎を考える上でも興味深い議論である。
 阿部氏がその思想、主張と行動を一貫して行った人だということはよく知られている。
 無論それが氏の寿命を縮めてしまったのかもしれない・・。
 それに対し、主張と行動の食い違うインテリたちがこの国にはなんと多いことか。
 特に日本人の歴史意識が円環的だという指摘は示唆に富む。
 現代の日本の西洋学者達でも素朴すぎるまでに歴史循環論を信じている現状を見れば尚更だ。
 本書にはマルクス主義史学者EHカーに対する批判も含む。
 そのためカーが復興しつつあるリベラルな学者世間には絶対に許せないのかもしれないが。
 いくつかの点を除いて難しい知識がなくても読めるため、学生や社会人にお勧めできます。




博多―町人が育てた国際都市 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 年に何回か博多駅や天神周辺などを歩く。県内の人間ではなかばってん、博多には興味を持っていた。
 金印の時代から説き起こして、一気に現代の商家の「ごりょうさん」の時代まで辿っている。巧みに、また面白く、2000年余りの歴史が一冊の新書にまとめられている。
 古い地図や写真も沢山入れてある。語り口が柔らかいのが良い。
 博多に来て、用事が済んで家に戻ってからこの本を開く。あの時代この時代に、町のどこそこで何が起こり、誰がどんな活躍をしたか、いろいろなことが町のイメージと重なって分かる。
 博多の今を知るには実際に歩けばよいとして、この本を読むと町の地層のようなものを見る感じがして、楽しか。




幕末維新の民衆世界 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






日の丸・君が代の戦後史 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 知っているようで知らない日の丸・君が代の戦後史をコンパクトに書いている。日の丸・君が代の下に敗戦を味わった日本人は、1950年くらいまではこの旗と歌に冷淡な姿勢をとりつづけていたという。そこから1999年に国旗国歌法が施行されるまで、政府が日の丸・君が代の定着をどのように図っていったかがわかりやすく描かれる。99年2月に起きた広島の県立高校長の自殺が、法制化への大きなバネとして使われたこともよくわかる。

 本の後半部分は教育現場をめぐる動きにほぼ絞られているのだが、もう少し分析に広がりがあれば、日の丸・君が代の変容をさらに重層的に描くことができたかもしれない。たとえば、筆者が少しだけ書いているスポーツイベントやテレビの役割だ。東京五輪が日の丸・君が代のイメージを「リニューアル」する機会だったという議論に、筆者は触れている。だとしたら、そこからさらに巨大化し、テレビを味方につけた国際的なスポーツイベントは、この旗と歌のイメージをいっそう変える力をもっていただろう。2002年サッカー・ワールドカップでの日の丸・君が代は、東京五輪のときとは明らかに別ものだった。

 政府が意図した変容だけではとらえきれない部分もあるはずだ。しかし、そのあたりのことは、また別の本のテーマなのかもしれない。


前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ