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和書 499808 (163)



なぜナチスは原爆製造に失敗したか―連合国が最も恐れた男・天才ハイゼンベルクの闘い〈上〉
販売元: 福武書店

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なぜ偉人たちは教科書から消えたのか 【肖像画】が語る通説破りの日本史
販売元: 光文社

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 歴史学上の新しい発見に伴って、教科書も少しずつ内容を変えていきます。源頼朝や足利尊氏などの肖像画が、どうも違う人物を描いたものらしい、ということが分かり、教科書から肖像画が消えています。

 本書は、偉人たちの肖像にかかわるあれこれをネタに、偉人達の知られざるエピソードを紹介してくれる歴史雑学本です。
 河合氏の本を読むのは初めてでしたが、たくさん本を出しておられるだけあって、読者のツボを心得ておられますね。
「へぇー」、「ほぉー」、「あはは」と笑っているうちに読み終わってしまいました。

 源頼朝の肖像画と思われていた人物が、どうも違う人らしい、と言われるようになりました。教科書には「伝源頼朝」というキャプションが付くようになり、そのうち、肖像写真自体が削除されてしまいます。
 聖徳太子や武田信玄、近いところでは西郷隆盛も、本人の顔だちを伝えるものではなくなりました。


 ……という内容は、書名からも想像することですが、本書は、これとは逆に、テレビの時代劇でおなじみの「水戸黄門」や「大岡越前」や「暴れん坊将軍」の肖像画を示し、テレビのヒーローとずいぶんイメージが違うことも示しています。
 特に「遠山の金さん」の晩年の姿を描いた肖像画は強烈でした。もちろん、西郷輝彦や松方弘樹の顔とかけ離れていますので、時代劇ファンにはショックかもしれませんね。
 著者も「歴史の厳しい事実というものを突きつけられる」と言っていますよ。

他に、
  「大岡裁きの87の逸話のうち84は江戸時代以前の物語からの引用」
とか、
  「徳川綱吉の生類憐れみの令は、捨て子や子殺しを禁止する法令や、
   社会福祉政策の一環だった」
  「日野富子は応仁の乱の要因をつくったと言われているが、主要因で
   はない」
など、歴史上のヒーローと悪役の評価が逆転するような新説も紹介しています。




なぜ夢殿は八角形か―数にこだわる日本史の謎 (ノン・ポシェット)
販売元: 祥伝社

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 著者は多面体や幾何学図形の専門家。特に建築と多角形の問題を扱っている。
 本書は、日本の歴史や建築にあらわれる「数」を様々に取り上げたもの。夢殿が八角形をしている理由、五重塔が五重である理由など。建築の話だけではなく、三途の川とか六地蔵、十二支、十一面観音など、日本文化に潜む無数の「数」が指摘され、解説されている。それぞれの例は非常に興味深く、日本文化にはこんなにも「数」が満ち溢れているのかと驚いた。
 とにかく、夥しい例を提示する内容。
 「数」の原理・理由にはいささかの物足りなさが残る。なぜ夢殿が八角形なのかというのも、もうひとつ納得できなかった。
 しかし、本書は真面目に疑問を追求するような著作ではないのだろう。これを入り口にして、著者の専門的な本へと進んでみると良いかも知れない。




なぜ太平洋戦争が起こったか?
販売元: 長谷川印刷

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なぜ太平洋戦争になったのか―西洋のエゴイズムに翻弄された日本の悲劇
販売元: 阪急コミュニケーションズ

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この本は、太平洋戦争に至った原因として「心理反発論」という新しい見方を提示しています。これまで戦争責任というと、一部の国家指導者や戦犯と呼ばれる人に全ての戦争責任を押し付けてきました。しかし本書は国民全体が、「西欧との同一視」、「西欧による日本人の人種的差別」、「日本式の人種主義による植民地形成」という流れの中で、この流れに誰もが抗することのできない風潮ができ、その必然として戦争に至ったとしています。こうして考えると、太平洋戦争の敗北は、即ち、日本文化の敗北であったような気がするのです。つまり一部国家指導者の責任ではなく、日本人全体が負わなければならない責任なのかもしれません。いろいろ考えさせられる本であることは確かです。




なぜ日本は戦争をしたのか?―日本再生の歴史認識
販売元: 新風舎

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なぜ日本は敗れたのか―太平洋戦争六大決戦を検証する (新書y)
販売元: 洋泉社

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なぜ日本人は謝り続けるのか
販売元: 致知出版社

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なぜ書きつづけてきたかなぜ沈黙してきたか―済州島四・三事件の記憶と文学
販売元: 平凡社

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済州島四・三事件は、私たち民族の現代史における最大の悲劇の一つですが、事件のものの凄惨さもさることながら、その後の半世紀以上にわたる事件の問題解決への道のりも苦難に満ちたものでした。
こうした不十分さへの反省を踏まえ、私たちは、このたびの55周年事業の取り組みを、在日社会のあらゆる組織や個人に開かれた和合の基礎の上に築くことを目指し、ここに済州島四・三事件55周年事業実行委員会の結成にいたりました。四・三の問題解決への取り組みは、民族の和解・和合の基礎のうえに行われるべきであるとともに、その取り組みの前進自体が在日社会の真の和解・和合に大きく貢献するものと、私たちは、確信してやみません。
また、四・三を東アジア史、世界史の中に位置づけ、分断祖国の解放後史、戦後日本史などを再検証していく一歩としていきたいと思います。
2003年1月 済州島四・三事件55周年事業実行委員会賛同人(2003年4月3日現在)
http://www.an-nyong.com/cheju43_55th.html

済州島四・三事件は、1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃 隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。またこの事件は麗水順 天の抗争の背景にもなった。
  −中略−
流刑島だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は、新天地を求めて日本へ出稼ぎに行き、その一部は移住した。韓国併合後、植民地時代の初期に朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。
日本の敗戦による韓国の独立によってそのほとんどが帰国したが、四・三事件の難を逃れた経済難民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。(Wikipedia)





なぜ都市が空襲されたのか
販売元: 光人社

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