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和書 500062 (142)



朝日年鑑〈1991年版〉
販売元: 朝日新聞社

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朝日年鑑〈1992年版〉
販売元: 朝日新聞

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朝日年鑑〈1993年版〉
販売元: 朝日新聞

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朝日年鑑〈1994〉
販売元: 朝日新聞

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朝日年鑑〈1997〉
販売元: 朝日新聞社

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新版 朝日キーナンバー
販売元: 朝日新聞

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朝日キーナンバー
販売元: 朝日新聞社

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朝日キーナンバー
販売元: 朝日新聞社

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朝日キーワード〈1990〉
販売元: 朝日新聞社

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新書365冊 (朝日新書)
販売元: 朝日新聞社

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玉石混交の新書市場。評者は出版ダウンサイジングの象徴たる新書形態の書物に対して、それをトータルで否定したい気がする今日この頃である。とはいえ、滅多に見つからないとはいっても、石の合間に玉があることもないではないだろう。
止せばいいのに、朝日新聞社が2006年に新書市場に参入したときのラインナップの一つが本書で、出たときにすぐに読んだが、2年経ってみると本書で取り上げられた新書の多くが店頭に残っていない。多くの新書が石であることは、この際措くとしても、本書にさえ取り上げられていない新書はそのほとんどが裁断され、廃棄の運命を辿っている。そのことは別に新書に限らないが、この本の運命はそれが環境問題との絡みで新書のテーマにさえなりそうである。

さて本書の評価であるが、ことほど左様にというべきか、2年後の今日、本書をガイドに新書を読んでみようと思っても、多くのアイテムが手に入らない。巨大書店ですら半分も揃えられない。新書という書物の形態は、書店の棚に常備商品として確保し、安価で安定的に読者に読んでもらおうという含意をもつ。否、これまではそういう商品であった。しかし、アクチュアルなテーマをもつものも多く、そうしたテーマは廃れるのも早いから、また次から次へと新刊が出てくるため、たとい自社の棚を確保できたとて、棚が毎月拡大していくわけでもないから一部の売れ筋アイテム以外は返品、廃棄されることになるのは道理である。

年間8万点の新刊。50%とも言われる返品率。ビジネスモデルとしての完全なる失敗例、破綻のモデルケースが出版流通であり、その極め付きが新書と言うべきか。
何となれば、新書刊行版元を見てみられよ。大手がほとんどであり、体力に任せて、自社の売り上げさえ上がればよいという発想で出しているのだ。書店のことや、他の版元のことなど度外視しているのである。その影響は棚割りの問題だけに留まらない。まさに新書版元=寡占的企業10数社(20数社?)による、それでも十分に数多いエゴイスティックな大手版元による「合成の誤謬」状態が生じているのだ。洋泉社など一部例外もあるにはあるが。

影響はマーケットにのみ留まるものではない。結果として、各版元はお手軽な企画立案によるラインナップを揃えることを志向することになり、石ばかりのコンテンツが溢れかえる(全てとは言わないが)。それを安いからとて、甘やかされた読者(いや、まさに消費者といったほうがふさわしい)はついつい手に取る。こうなればまともな古典や、時間も元手もかかっている力作・労作は「売れない」として、刊行さえ見送られ、たとえ出たとしても部数は極端に絞られる。
読者の名にも値しないお手軽本に親しんだ消費者は、当該テーマの薄味で効率よくまとめられたものだけを読んでわかった気になる。毎日ファストフードだけを食っているようなもので、そんなものが骨となり、肉となり、血となるなどということはあり得ないのだ。

ところが、以上のようなマーケットに棲息しているのが、本書宮崎をはじめ、数多くの評論屋さんである。
あえて、言っておこう。新書を読むと馬鹿になる! と。


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