日本(人)は従来、病気のことはよくわからないから、『お医者さんに任せておけばいい』という考え方が強くて、医師の方も、『患者は何も言わず聞かず、私の言う通りにすればいい』という考えで、医療を行ってきたように思う。
それが最近、アメリカで始まった『患者革命』が、日本にも上陸して来たらしい。
納得の医療を受け、納得の死に至るためには、我々患者はどう変わり、医療をどう変えていかなければならないのか。それが本書の主題である。
『インフォームド・コンセント』という言葉がある。日本語で、『説明と同意』と訳されているが、何のことやらよくわからない。
『的確な情報を与えられたうえでの患者の承諾』とか『正しい説明にもとづく患者の自己決定権』などという訳が適切だそうだ。
『プロ』である医師と、『素人』である患者とでは、持っている知識と経験の差は、歴然である。その差を埋めるための、十分な情報の開示、が『インフォームド・コンセント』なのだ。
著者の姉は、メラノーマという皮膚がんで亡くなった。しかも、誤診の所為で。
『こうした誤診は、当時より診断技術も進んだ今では起きないだろうと思いたいのですが、相変わらず、同じようなことが、今も繰り返されており、驚くばかりです。』
がんであるかどうかの最後の決め手は、病理組織診断であり、それに拠らないと、判断ができない場合が多い、ということは、覚えておく必要があるだろう。
忙しくて、経験も豊かな医師は、病理組織検査なしで診断(誤診)してしまうようだ。
患者にとって、医師と同じか、いやそれ以上に大事な存在が、看護師である。その数は、相変わらず、少ない。
医療費負担を増やしたりすることも必要なのかも知れないが、それよりもまず、看護師の数を増やすような『医療改革』を望む。
いったい“臨床”とはどういうものなのか.自分なりに考えたいと思って手に取った一冊.
哲学者である著者が,なぜ<臨床の知>に至ったかまでを綴った前半と,それをより実践的な医療の場面にあてはめた後半とに大きく別れる.
私の読書目的からすると,Ⅰ章・Ⅱ章あたりの<科学>の批判的なとらえ方にいろいろと刺激を得ることが出来た.
とくにⅠ章での科学を制度化したことの弊害として,<普通科学>者の保守性に関する記述には,正直痛いところをつかれた.
大義名分と実際にやっていることのギャップ.自分でもわかってはいたが,びしっといわれると反論する術を持たない・・・.肝に銘じたいところである.
後半の脳死判定,インフォームド・コンセントに関する記述は,読み物として非常に面白い.
私たち日本人が持っている曖昧さと,死のとらえ方,医者と患者という立場のとらえ方など,この時勢だからこそ捉えておきたい考え方がたくさん示されている.
全体としては難解で読みにくいとは思うが,得られる物が多い本であったと思う.