sやc、zなどの綴り字の発音がスペインと中南米では異なりますが、その特徴から判断するに、付属CDを吹き込んでいるのはスペイン人の男女二人です。比較的ゆっくりと読んでくれているので、初心者が後について発音練習するには適当な速さです。
各課の主たる会話例文ばかりでなく、その課でポイントとなる動詞の活用やその応用例文までも丁寧に読んでくれています。CD2枚に例文がたっぷり入っていますから、それをひとつひとつ修めていけばかなり力がつくでしょう。なにしろ全部で80課もあり、数々の不規則活用動詞はひとつひとつ丁寧に例文とともに覚えられるような構成になっていますから。
欲をいえば、接続法に関する例文もCDに入れてほしかったなと思います。本書はほぼすべての文法項目を網羅しており、特に接続法の文法的解説は巻末に12頁にもわたって詳細に書かれています。しかしCDには接続法に関しては命令を意味する例文のみわずかに入っている程度です。接続法は一見むずかしく、多くのスペイン語入門書が敬遠してしまっている文法事項ですが、使用頻度は大変高く、これを学ばないというわけにはいかないものです。解説がこれだけきちんとされているだけに、音の面でももうひと踏ん張りしてもらえなかったものでしょうか。
取り上げている例文は、簡単な挨拶言葉から始まり、空港での出入国手続き、ホテルのチェックイン、レストランや土産物店での会話、交通機関を使うときの決まり文句など、旅行で出くわすであろうスペイン語例文を一通り収めています。奇をてらった文章はひとつもなく、ごく基本的な例文ばかりです。
付属のCDはスペイン出身の男女がスペイン語例文を、そして著者自らがその和訳文を吹き込んでいます。和西対訳になっているから、脇にテキストを置かずともこのCDを流しっぱなしにして学習することが可能です。
ちなみに、吹き込み担当者は男性がガブリエル・ベルギスタインさん、女性がエバ・ガルシアさん。といえばここ数年NHKのスペイン語講座を視聴している学習者にはおなじみの出演者でしょう。二人の発音は明瞭至極。しかも速からず遅からずの適度なスピードで吹き込んでいます。
ただし、本書はあくまで旅行会話例文集で、本書からいきなりスペイン語の学習を始めるのはお薦めしません。私は外国語の学習は文法をきちんと修めるのが一番の近道だと考えています。ですから本書にあたる前に、スペイン語文法を一通り勉強しておくことをお薦めします。私自身、3年前にスペイン語を始めて、文法をきちんと頭に入れたおかげで今では新聞記事も苦労することなく読むことができます。
スペイン語は動詞の活用が英語以上に複雑ですから、本書の例文を文法もわからぬままに丸暗記するのはかなり苦痛だと思います。換言するならば、基礎文法が頭に入っていれば、本書の例文は無理なく覚えられる平易なものばかりです。
おそらくこの本は、本格的にスペイン語というものを学習してみようかどうしようか、とまだ迷っている人に向いていると思います。スペイン語の「肌触り」を知るための試供品のようなつもりで手にするのがよいのではないでしょうか。この本で「おっ、スペイン語って意外と(もしくは、やっぱり)面白い!」と興味を持った人は、もう少し本格的な入門書に当たって勉強するというのもひとつの手でしょう。
ただし見方を変えれば、ひとつ本格的にスペイン語ってやつを勉強してみるか、と勢いづいている人には、この本に当たるのは回り道になるかもしれません。試供品と呼ぶには少々値段が張るともいえるでしょう。
この本はスペイン語の基礎文法すべてをカバーしているわけではありません。スペイン語はひとつの動詞が50通り以上の活用をするといわれていますが、この本では接続法を扱っていません。接続法は話し相手に何かを依頼したり、英語でいうところの仮定法を表現したりする場合に欠かせない表現であり、とても頻繁に会話の中に出てきます。それを省いているので、文法項目の取り扱いは不十分です。
付属CDの吹き込みはスペイン出身者と中南米出身者とが担当しています。スペインと中南米の間にはcやzの発音に違いがあります。どちらかが一方よりもすぐれた発音だということはいえませんが、学習者の好みはあるでしょう。ですからどちらか一方の発音にこだわってスペイン語を修めたいと考えている読者にもこの本は勧められません。