足利尊氏というと、皇国史観では逆賊・悪臣の筆頭にまつりあげられ、その事蹟からも周到な戦略家・政治家の印象が強いのですが、本作ではそういった人の上に立つ者の冷徹さは稀薄で、家族を愛し、家庭を大事にし、人との強い関わりを絶やさないマイホームパパという雰囲気が濃厚です。
そのせいか、そんな尊氏を影で支え続けた弟・足利直義に意外や多くの筆が割かれ、大変魅力的に描かれています。
やや呑気にもみえる兄・尊氏を、全面的にバックアップするしっかり者の弟・直義‥‥実にクールながらさりげに熱く、数々の史実や逸話をもとにその人間的な温かみがしっかり書き込まれているところが㡊??いです。微笑を湛えながら時に鋭く、時に優しく接する直義は凛と美しく、武士として、父として、ひとりの男としての毅然とした姿勢がぐっと伝わってきて、じんときます。
もちろん、南北朝の複雑な時代背景も、ありがちなつらつらの説明調ではなく非常に簡潔かつ平易に語られているためわかりやすく、さらっと読んでイッパツ理解OK。
足利尊氏の生涯に深く関わる脇役ひとりひとりを丁寧に描くことで個性を際立たせ、誰が何を考えてそこにいるのか、すっきりと表現されているので、南北朝の揺れ動く陣容が場面ごとにちゃんと把握できて、この時代に馴染みの薄い読者にも優しい作品に仕上がっています。
そのせいか、『太平記』や『仮名手本忠臣蔵』などの影響で悪役イメージの強い観応の擾乱の中心人物・高師直が、やたらニヒルでかっこいい。尊氏の本性を見抜いてる上に、直義ともお互いの資質を認め合っていて、持ちつ持たれつ巧くやっているところなど、読んでいて爽快です。しかも言動、行動は大胆かつ男らしく、まさに婆娑羅。偽悪者っぽいトコがイカしてます。
はじめからそういうスタンスで足利兄弟に絡んでくるので、観応の擾乱も師直がこういう人物像だから、ああなるのか‥‥と唸らせる展開に。
上巻から一貫して尊氏の像は変わりません。
天衣無縫な振る舞いが周りを奔走させ、結局自分だけは変わらぬ立場に落ち着いて、彼らのなすことを鳥瞰し、時折思い立ったように賽を振るといった感じで、為政者としては一見無欲です。
けれど数々の屍を乗り越えて、足利氏悲願を成就し未来へと繋ごうとするはずの尊氏に最期の最期で垣間見える生と勝利への執着。
ゆえに完全な充実感を得られず、死にきれない想いで病に倒れるラストに苦味が残ります。