今の新卒よりも5から10年程度以上上の世代の方にとっては
適切な内容だろう。
我々のその世代の人間の生きる時代は物質的なものは満ち足りているせいか、肩書きを必要以上に気にしすぎている人が多い。
気にしている理由は劣等感だけである。その結果、鬱病になる人間が続出する。
だが、
我々20代前半の世代は、「あいつはあの会社で正社員になれた。うらやましい」って言葉の意味は劣等感を意味しない。「俺は年老いた親を抱えて大学4年前半までで100社以上回ったけど落ちた。
卒業までもっと検討したけど落ちた。既卒になったらそもそも書類を
受け付けてもくれない。どうしよう?」
つまり、現実の生活、生きていく糧の実際上の心配・問題なのです。
一世代前の人間の悩みは単なる精神的な劣等感のみに留まる、それも
職業や会社・役職のみのいわば仮想・妄想に近い悩みである。それに
対して
今の若者の悩みは現実にそれが解決されないと結婚しても
親・家族・老後の生活を支えることすらも出来ないという現実の
悩みなのです。
そのように悩んでいる人たちにニートだのフリーターと
レッテル付けを行う社会はどこかしらゆがんでいると言わざるを得ない
だろう。
著者が教えている早稲田でもあまり状況は変わらないはずだ。
一体彼は大学で学生とどういう心の交流をしているか大変疑問だ。
・・・と思ってたが、今より10年以上前に書いたものなので
そんな悪くは無い内容です。誤解してました。
が、今を生きる人間がこの本を読んで信じ込んだとしたら
かなり世の中から遊離しているので気をつけたほうが良いです。
著者のせいではないです。
だが、レビュータイトル通り今現在の若者にとっては、本書は正反対の意味になる。
本文を見るとおとなしい性格なのに無理に見栄えが良いからと大手商社に入って
過労で自殺してしまうかわいそうなビジネスマンが出ている。(以下少し感情をこめます)
が、俺に言わせれば、勘違いしている面が極めて大きい。
大手企業は愚か正社員にもなれず派遣やフリーターにならざるを得ない、
もしくは物凄く激務をやるのに社会的保障が全くない職にしか
今の学生の圧倒的多数はつけないのだ(余程強い背景が無い限り)。
正社員になれる職場でも2~3年経つと
社員の顔の半分は新しい顔に変わっている(転勤などではない)
伊藤忠や丸紅に行って社会保障つくなら喜んで今の学生は生きますよ。
だって、それと同等かそれ以上に非人間的扱い激務である職場or
フリーターになるよりははるかに良いから。
我々の0、5世代前の人間の生きる時代は物質的なものは満ち足りているせいか。
他の肩書きなどに必要以上に気にしすぎていると思う。劣等感だけである。
その結果、鬱病になる人間が続出する。
俺らの世代は、「あいつはあの会社で正社員になれた。うらやましい」って言葉の
意味は劣等感を意味しない。「俺は年老いた親を抱えて大学4年前半までで100社以上回ったけど落ちた。
卒業までもっと検討したけど落ちた。
既卒になったらそもそも書類を受け付けてもくれない。どうしよう?」
ってのがニートだのフリーターと呼ばれる世の中なんだよ!
まぁ10年前なのでしょうがない。