著者は、桜好きのノンフィクション・ライターで、「平成12年の春、サクラ前線とともに日本列島を縦断した。大阪城公園から函館の五稜郭まで、約1ヶ月かけて76ヵ所のサクラの名所を訪ねて回った」というプロローグからこの本は始まっています。
私が、定年後にしたいことの一つに上げられるのが、著者と同様に日本中のサクラの名所を訪れるということです。私が愛してやまない「満開の桜」には、人々を魅了する不思議な力が存在しているようですね。
この本では「ソメイヨシノは、ヤマザクラやエドヒガン(彼岸桜)のような野生種ではなく」、「人間が増殖してきた園芸品種」であること。そして、「樹木が生育する環境としては最悪といっていい都市部に、狭い間隔で植えられている」ため、「園芸品種としてのいくつも弱点を持っていることを誰も気にとめていない」ことを書いています。
その中で、日本一の桜の名所として評判の高い、青森県の弘前公園を取り上げて、桜の生育に関わってこられた方を取材し、その苦労も含めて丹念に描いています。ノンフィクションだけが持つ感動をこの著者はうまく伝えているように思いました。
全国各地でのお花見は、春の風物詩でもありますね。ただ、浮かれてばっかりはいられないと読後に思いました。今後枯れていくであろう全国のソメイヨシノに対して、我々は今、何をなすべきかが問われていると感じました。
乱立するダムが川魚の産卵環境や生育環境に大きな、場合によっては壊滅的な影響を与えてきたのは間違いないだろう。だから、「鮭はダムに殺された」というタイトルの主旨は大きく外れていないと思う。日本の河川では、上流から下流のいたるところに治山ダム、砂防ダム、治水ダムなど数多くのダムが作られ、護岸コンクリート工、床固工といった河道をコンクリートの三面張りで固める工事やショートカットと呼ばれる河川工事が頻繁に繰り返されてきた。それらによって、気の遠くなるような年月をかけて自然に形成されてきた「川の輪廻」が短期間に大きく変動させられてしまったというのが著者の長年の観察を経た主張である。そして、そのような川への幾度にも渡る人工的介入が「掃流」と呼ばれる川底の土砂を運ぶ流れの動態にも大きな影響を及ぼして河床の低下や河岸の洗掘を引き起こし、山脚崩壊や河岸崩壊と呼ばれる自然崩壊につながったと著者は警告を発する。鋭い観察眼によって撮影された荒れた河川の写真例示や図解を添えた河岸崩壊の解説にはそれなりの論理と説得力を感じた。
残念ながら本書の難を上げるとすれば・・・
著者は、「(水質データなどの)数字を手品のように器用に扱う研究者や専門家の権威に惑わされることなく、人間の当たり前の視点当たり前の感覚で川に接して川をじっくり見て、自分で判断してほしいと思うのだ。」と官側の机上の論理を揶揄しながら実体験そのものの大切さを説く。しかしそうではあっても、やはり主張の根拠となるデータは必要だと思う。河川の研究者や専門家でもない著者に学術的に蓄積されたデータを求めるのは酷な話かも知れないが、書かれた内容の客観性や普遍性を担保するためには、それは避けて通れない道ではないだろうか。まして著者は一介のフリーランスカメラマンから既にいくつかの環境NPOの理事や代表を務める立場にあるのだから。