戻る

前ページ   次ページ

和書 508052 (285)



悪趣味の復権のために バッドテイスト―荒俣宏コレクション2 (集英社文庫)
販売元: 集英社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

グロテスク、不気味、悪趣味な題材を集めた解説冊子。のりは、遠き憧憬のあり日の少年雑誌に掲載されていた世界不思議物語のようだ。ただきちっとした解説がしてあって大変興味深く読ませる。悪趣味というのも紙一重だという感慨が残る。

惜しむらくは、というか良いというべきか?著者は、タレント性を買われてかTVでの出演が多く、好もしい人柄と親しみやすい風貌をよく知られていることもあって、読んでいる最中、片時も著者の顔が脳裏を離れない。これをバットテイストというかどうかは人によるということか。




音楽(ミユージツク)をファッションする! (集英社文庫―コバルト・シリーズ)
販売元: 集英社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






馬場あき子の謡曲集 三枝和子の狂言集 (集英社文庫―わたしの古典)
販売元: 集英社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






週刊本 (41) (週刊本 41)
販売元: 朝日出版社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






蒐集物語 (中公文庫)
販売元: 中央公論新社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






蒐集物語 (中公文庫)
販売元: 中央公論社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






修復家だけが知る名画の真実 (プレイブックス・インテリジェンス)
販売元: 青春出版社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

修復技術のめざましい発展によって、ルネサンスの名画(ミケランジェロ「最後の審判」、レオナルド「最後の晩餐」等…。近年まで、かなり荒く違う絵になってしまう程の加筆修復がなされていました)を、画家オリジナルの絵画として楽しむことができる、幸せな時代に私達は生きています。

本書は、画家がどんなに綿密な計画を立てて絵を描いているか、等とても興味深く書かれています。修復前で、しかも印刷状態の悪い昔の画集などを観て「昔の油絵って茶色っぽいなぁ」と思っているような人には、眼からウロコな情報も満載です。

でも、画家の意思によって(重ね塗りなどによって)葬られた部分というのは、希少価値の為だけに、他人が覗き見て良いものなのか、少し疑問が残ります。勿論、この方は修復家という立場上、また遺族や持ち主の同意の上の話ですから、当然の行為ではあります。しかし絵を観る時に、「なぜこの瞬間で画家の筆は終わりとされたのか」と、画家のメッセージに想いを馳せることは、下地が何かを知るよりも、より深く絵を理解することに繋がると、私は思います。

修復家の眼、という冷静沈着な内容かと思ったら、最後の「贋作」に言及する部分は、著者の絵画への強い愛情が伝わってきて、同じ想いを共有できました。




酒中日記 (中公文庫)
販売元: 中央公論新社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

「小説現代」に連載された、タイトル通りのページのエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、実際には20年ほど前の1988年に編まれた本からの再構成だし、各エッセイは、さらに20年くらい遡った昭和41年からのもの。
なんで、今更「新刊」となったのだろう?

編者の吉行淳之介(もう亡くなってから久しい)に始まり、安岡章太郎、瀬戸内晴美、遠藤周作、、、と、現代文学史に出てきそうな人たちから、最後の方(時期別になっているので、最後は昭和63年)は山田詠美、吉村昭、という32人の作家によるエッセイである。

「某月某日」で始まる、いずれも酒(というより酒を飲むこと)に関わる他愛もないエッセイは、ある意味ではブログそっくりであるが、大きく違う点が二つほど。

一つは、その内容。
バーからバーへとはしごを続け、気が付いたらパジャマで朝の新宿を歩いていたとか、作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、ちょっと前の「作家」イメージが見事に再現されている(というより本物)。

もう一つは完成度。
内容そのものは「他愛ない」が、一つ一つ、読んでいくと味がある。やはり、商品として存在している文章だけのことはある。ブログに違和感を感じるのはこの辺りで、何の責任も負わない、自分だけの書きっぱなし、というのはどうも(ごめんなさい)。

「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなくまた死んだフリをする。」
こんな文が書ける酔っぱらいって、すごいと思う。




修羅の画家―評伝阿部合成 (同時代ライブラリー)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)
販売元: 筑摩書房

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

20世紀の最初にして最大の芸術運動「シュルレアリスム」。
本書はそのシュルレアリスムの中心人物であるアンドレ・ブルトンの研究者における「<正しい>シュルレアリスム」講義。
講演を字に起こしたかっこうになっているため、表現がやわらかく、わかりやすい。図版とともに、丁寧な註が下段にはつ
いている。

「シュルレアル」のシュルというのは、日本人の我々にとってはお笑いなどでよく使う「シュール」という言い回しのほうが
なじみ深い。このシュールはもちろんシュルレアルからきているのだが、元来の意味は日本のそれとは異なっている。
超現実。それは現実を超えたところにある、現実と全くの「別物」、ではない。シュルレアリストたちが挑んだのはあくまで、
我々が存在する現実を描くことであり、彼らが描こうとしたのはその現実が時折見せる、まか不思議な別の一面の表象である。
別にそれは「異世界」や何かではない。

講演は「シュルレアル」「メルヘン」「ユートピア」三回に分かれていて、この三つは何も独立しているわけではなく、
筆者曰く三位一体である。加えて、そのどれも近代文学のキータームである。シュルレアリスムの段と同様に、他の二つ
の語についても、日本人特有の「勘違い」を指摘し、文学を紐解きながら「そもそものメルヘン」や「そもそものユート
ピア」が解説される。

ずっと後になってから日本でコメディアンのタモリが、ふとした瞬間に誰もが迷い込んでしまう可能性がある「奇妙な世界」
のストーリーテリングをすることとなる。
アンドレ・ブルトンらが描こうとした世界。それは、我々がなんら疑うことのない現実と地続きの、そういった「奇妙な世界」
のさきがけだったのかもしれない。




前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ