映画を見終わったあと、
ずっしりと何かを背負ってしまった感覚を覚えました。
そして私も、毒ガス遺棄訴訟の裁判官に手紙をだしました。
彼女の作品が持つ、人に与える重い力の源泉は何なのか、
興味を持ってこの本を手にとりました。
彼女の文章に、その答えがありました。
虐げられ、今まで社会に取り上げられることがなかった人々に、
つくり手である前に、一人の人間としてどう向き合うのか。
「加害国日本の一員として、向き合うことが自分の責任」だと語り、
40人もの毒ガス被害者から、たった一人で体験や苦しみを聞き続けます。
そして、上映会に参加した人々とも語り合い、
作品をより豊かなものに仕上げていきます。
「ドキュメンタリーは“絆”だ。人が社会で生きていくのにそれは欠かせない。
一つ一つの“絆”は小さいけれど、
そこからよりよい未来をつくり出す大きな力になるはずだと信じている」
という最後のくくりに、
作品の魅力の源が見える気がします。
台紙には他にもちょっとしたキャラクター紹介が載っていて、シールにはテレタビーそれぞれのページがたくさんあり、シールの画質もキレイですし、かわいさ満載のシールブックだと思います。
黒澤組の俳優(三船敏郎や志村喬)、撮影監督、助監督、果ては馬や蟻といった脇役陣との付き合いまでが実に興味深く描かれています。作曲家の武満徹や俳優の勝新太郎と黒澤監督との確執は、才能あふれる者同士が散らした火花の壮絶さを物語っています。
しかし、複数の媒体に時期をたがえて掲載した複数の文章を寄せ集めて一冊に仕立て上げているために、構成にまとまりを欠いている気がします。その点が惜しまれます。
内容に若干の重複が見られたり、また黒澤監督との思い出ばかりでなく、伊丹万作やその息子の伊丹十三といった必ずしも黒澤監督と直接の結びつきがない人々との回想も含まれていたりします。
私自身は松山で20代を過ごしたことがあり、その当時松山出身の伊丹万作監督「赤西牡蠣太」なども見ているので、伊丹親子の挿話はそれなりに楽しむことが出来ましたが、表題に釣られて黒沢評伝を期待した若い読者は、黒澤監督のエピソードが最初の70頁を越えるまでなかなか登場しないことに、退屈といらだちを感じるのではないでしょうか。