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和書 508066 (352)



毒婦の誕生―悪い女と性欲の由来 (新書y)
販売元: 洋泉社

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日本考古学の通説を疑う (新書y)
販売元: 洋泉社

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新書だから、一般人にも判りやすく説き明かしている訳ですね。
本来考古学なるものは数値とか、データとか統計、分布を扱う極めて緻密な作業の分野なのだが、
如何せんここで取り上げているように、時として埋め合わせのために己がイデオロギーなるものを織り交ぜてしまう傾向があったことを指摘しています。
痛快ですね。




日本書紀はなにを隠してきたか (新書y)
販売元: 洋泉社

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 古代史の「通説」を疑っている項目はいろいろある。「白村江」敗北の原因ー本当に唐の軍事力の前に屈したのか?「蘇我・物部戦争」は宗教戦争だったのか。倭王の系譜と江上波夫の「騎馬民族渡来説」への疑問などが論じられているが、ここでは「卑弥呼は個人名にあらず」と力説している中心部分をまとめてみよう。
 卑弥呼というのは個人を識別する記号〈個人名〉ではなく、特定の女性が就任する地位や身分の呼称と考えるのが妥当だという。これを著者は卑弥呼職と呼んでいる。中国人が『魏志』倭人伝で誤解を冒しているとみている。邪馬台国に卑弥呼という女王がいたであろうというロマンを信じて疑わない。これは学問とは全く違う次元のものであるとも言う。この頃三世紀の日本列島はすでに階級社会に入っており、そのような複雑な社会を統治する王や首長自身がなおシャーマンをつとめていたというのは、考えがたいことである。彼女は倭国の傍らにあって、あくまでも「鬼道」と呼ばれる祭儀にのみ奉仕する巫女だったとみなければならない。この卑弥呼職は、かつて前方後円形の墳丘墓とセットで創造されたものであったから、それがなくなっていまうと、卑弥呼職もなくなったと思われる。
 さて、帝紀・旧辞と総称される書物が、いつ作られたかに関しては、津田左右吉の欽明朝前後という学説が今日の定説になっているが、その根拠はなく、認められないと言う。著者は律令国家建設の起点となった7世紀の半ば、舒明・皇極朝時に求めることができるという自説を強調している。(雅)




信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う (新書y)
販売元: 洋泉社

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タイトルにある通り、本能寺の変の謀略説(光秀以外の犯人説)を列挙し、それらの論理的な弱さを明示していきます。史料が十分に揃っていないもの、史料はあるけれども誤読であるものなどを指摘し、謀略説に見られる共通の弱点を挙げており、納得のいく内容です。
謀略説を信じる人は、読んでいて余り気分が良くないかもしれません。本文でも示されている通り、著者は謀略説の作者そのものを否定してはいませんが、かなりきつい論調で次々と説を否定しています。ただ、これには理由があり、著者はこれらの謀略説がはびこることに懸念しているようです(同著者による「偽書・武功夜話の研究」も同じ)。
一歴史ファンからすると、確かに謀略説のどれもが、ある意味面白く、そんな可能性もあるかなと思わせるものではありますが、「常識的判断」に則ったらどれも眉唾であるということがよく解ります。結局、謀略説はいずれも推測の域を脱しきれないままです。
また、謀略説を信じない人は、この本で一度「本能寺の変」の諸説を確認するのが良いでしょう。
個人的には「イエズス会説」は面白かったです。




張形と江戸をんな (新書y)
販売元: 洋泉社

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江戸時代に張形?単に書名への好奇心で手にとって見たが、あたり!であった。

著者の田中氏は法政大教授で日本近世文化の専門家。浮世絵の春画に描かれた張形を通して、江戸時代の女性の性意識を論考しようという趣向である。

江戸時代までの日本では性は豊饒であり、豊かさであり、祭りであり、聖なるものであったが、明治以降、性は西欧的価値観の輸入によって邪悪なものとなってしまった、と田中氏はいう。また、性行為を秘め事と考えるのは近代的な発想で、集団での「遊び」としての性も往々にしてあった、という。

田中氏の指摘するとおり、春画は大変ユーモラスである。笑えるのである。明るいのである。この感覚は確かに性に罪の意識をもつ西欧のものではない。フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」などにも、性に奔放な娘たちの話がでてくるが、本書でやっと納得がいった。笑いとしての性。これが日本人の本来の性意識であったのだ。

図版が多く、しかもそのものズバリなので、若年者には刺激が強いかもしれない。が、本来の日本の伝統的性意識では「女子十三四才にして経水通じて淫欲盛んなるは天地自然の道理(p141)」だそうだから、中学生にでもなれば十分、一人前。隠すこともあるまい。

日本人の民族思想のバックボーンとはなにか、それが最近気になっていろいろと拾い読みしているが、性意識については本書ですっきり納得がいったように思う。性を後ろめたく思う意識もまた、民主主義思想などと同じく、明治以降怒涛の如く流入した欧米思想なのであった。

というような理屈は横においても、ともかく読んで面白い傑作であることは間違いない。ぜひお勧めしたい。




卑弥呼誕生―『魏志』倭人伝の誤解からすべてが始まった (新書y)
販売元: 洋泉社

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 著者の「卑弥呼機関説」は面白い考え方だが、私にとってのこの本の面白さは、そのような歴史解釈の結果だけではなく、その手法の合理性にもあった。

 ここで面白さをかもし出している合理性は、絶対的なものではなく従来との比較による相対的なものである。その合理性と対照を成すのは、宗教やイデオロギーによって硬直化した人の心がもたらす非合理性であり、更にその対照的な風景がかもし出す人間存在であるが、それが浮き出てくるのがまた面白いと思った。

 古文書は言説であるから、その内容についての真偽は広く周辺を綜合しなければ推定できないことは判っていように、一般人のみならず歴史学者まで何故結論の真偽に拘ろうとするのだろうか?。そんな昔の事は良くわからないのが当たり前であるから、多くの仮説に基づいた多くの推論が存在するのが妥当だろう。だから証拠に基づいて諸説を論議してより真実に近い説を合理的に判断し続けるから面白いのであると思う。

 文学や芸術ではなく、学問として史実を解明し続けるには、その動機はどうであろうと、証拠を発見して積み重ねながら解明し続けるという科学的合理性に負う以外にはないし、だから面白いのである。




フランス料理を料理する―文明の交差点としてのフランス料理 (新書y)
販売元: 洋泉社

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召使いたちの大英帝国 (新書y)
販売元: 洋泉社

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他の家事使用人を扱った本(『路地裏の大英帝国』、『ヴィクトリアン・サーヴァント』など)と異なり、歴史学的アプローチでなく、一般的な読者を対象とした入門書といった内容になっています。広く浅くといった内容であり、学術的な見地からの家事使用人研究を求めている読者にしてみれば、かなり物足りないかもしれません。また主に上流階級によって召し抱えられた召使いを対象としており、19世紀に増加した中産階級によって雇用される家事使用人は小さな扱いとなっています。その為、『ヴィクトリアン・サーヴァント』とは異なり、家事使用人の境遇について、かなり楽観的な評価がされており、その辺りもやや気になるかも知れません。が、新書で値段も手頃なので、家事使用人の基本的な情報から知りたいという向きには良いのではないでしょうか。




歴史の中で語られてこなかったこと―おんな・子供・老人からの「日本史」 (新書y (050))
販売元: 洋泉社

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 私は、網野善彦氏(1928−2004)のファンであった。だが、この本を読んで、網野氏に対するイメージがかなり変わった。その理由は、以下の様な物である。
 面白い本ではある。そして、これまでの日本史研究が、日本の歴史における米の意味を過大評価して来たとか、逆に養蚕の意味を過小評価して来たとか、網野氏が指摘して来た、これまでの「日本史」の盲点についての指摘は、この本でも、非常に興味深く読ませてもらった。又、対談相手の宮田登氏のお話も非常に興味深い物であった。しかし、この対談の所々で、網野氏は、首をかしげる様な事を発言して居る。(以下引用)−−「近代日本の朝鮮侵略の原型はやはり、秀吉の朝鮮侵略だったといえますね。明治政府の路線は、秀吉の路線の上に乗っているところがあるわけです。」(本書105ページ)「幕末から明治にかけての日本の前には、いくつかの選択肢があり得たと思います。明治政府は最悪に近い道を選んだと思いますが、今後、私たちが進むべき道の選択を迫られたときには、最善にできるだけ近い道を選びたいものです。」(本書146ページ)−−網野氏の中世についての言説だけを読んで居た私は、この本を読むまで、網野氏が、こんな発言をして居るとは知らなかった。しかし、この本の対談で、網野氏の口からこぼれた、こう言ふ発言を目にして、網野氏は、かなりイデオロギー的な歴史家だったのあろうか?と思はざるを得なく成った。−−網野善彦氏の発言は、気を付けて読んだ方が良さそうである。

(西岡昌紀/内科医)




ワシントンの陰謀―誰が日本とアジアの経済を殺したのか (新書y)
販売元: 洋泉社

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是非多くの人々に読んで欲しい。
難解な文章はなく平易な表現で1997年に勃発したアジア経済危機を
中心に考察している。

クリントン政権・香港返還・ユーロ誕生の流れの中で、米国・EUの
当局者達の言動が詳細に記述されている。
「ヘルシンキアタック」と聞いても大手メディアではまず報道され
ないので、我々一般国民からするとこの書籍は非常に役に立つ。
スティグリッツV.S.カムドシュ&フィッシャー&サマーズの本音
トークはとても興味深い内容。
IMFは「債権者連合」だったのだ。
慈善事業ではないので融資先の国の国民生活がどうなろうと知った
ことではないそうだ。
スティグリッツは勇敢で立派な人である。

バブル崩壊後の日本経済は「失われた10年」を経て弱体化していくが
その契機は冷戦終結だった。
ソ連なき後米国は安心してドルを途上国にばら撒くことができるよう
になった。
「グローバリゼーション」の始まりである。
これを正当化する根拠として「ワシントン・コンセンサス」が米国
財務省・IMF・世銀(国際復興開発銀行)によって採用された。
結果、90年代の世界経済に極めて大きな影響を及ぼしたとしている。
「失われた10年」とは、日本型経済システムV.S.ワシントン・コン
センサスだったのだ。

星5つといきたいところだったが、各国中央銀行の考察がなされて
いないため、星4つとした。
続編を大いに期待している。


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