大正時代の識字率や読書層の状況、平時で最も多くの人が亡くなった年とその理由、1月生まれと3月生まれが突出して高い事情、ねえやは普通15ではヨメにいかなかったこと。兵隊さんは戦死よりも戦病死(インフルエンザ)が多かったこと。雑学的にとてもおもしろい。
また、統計資料の精査の方法、歴史資料として用いる場合の限界など、丁寧にフォローされており、参考になる。
難をいうなら、大正期の世相の説明と統計上の分析記述の間に、質的に大きな違いがあることだ。正直、社会の概観を示した部分は、他の部分と比較して文章に硬さがあり、内容も深みに欠ける。もちろん、新書一冊ですべてを語ることは不可能なのだが、この点で本書が全体としてばらついた印象になってしまった。
もう一点、人口学の専門家には畑違いかもしれないが、なぜ国家は統計を取りたがるのか、人口や年齢、家族状況だけでなくそれ以上のこまごまとしたデータを集める意味は何なのかを、概観してもらえればおもしろかったかもしれない。
かくゆうワタシも、実はこれを読むほとんど数日前まで『太平記』の扱う時代を知らなかったし、世阿弥という芸能人の背景としての興味しかなかった。しかしこの本はなんの前触れもなく“長崎の鐘”の歌詞から始まる、戦記物と聞いていたし英雄が生き死にするし、それを好きな人間を否定する筋合いなどないが、ワタシは概ね武士が煩わしい。
だが、その書が成された理由というのが、死んでいった者らの鎮魂であり、続く騒乱を嘆きそれを静まることを願うためというのなら印象はまるで違う。長崎の鐘と聞き、その背景の説明が一行もなくても、失われつつあると嘆かれる教養としての歴史とはまるで違う次元で日本人はその意味するところを知っている。遠く離れた時代からその内容がエンターテイメントとして見えるとしても、戦のあとを生きていかなくてはならない人間らが必要としたものなら、ワタシはそれを理解できる。
中途退場した人らが亡霊として出てきて場を引っ掻き回したり憑り移ったりやら、全体が儒教&仏教の理念に貫かれているやら、敗者天晴れと褒め称えたりするのに時の室町幕府に都合の良いところで幕となっていたり。実際に中枢に近い人らが添削していたりで……この書そのものがなかなかややこしい(笑)。『太平記』も面白そうだ。
あくまで私の感覚ですが、とても客観的に書かれているような気がします。
太平洋戦争の概要を知るには最適な本だと思います。
お勧めします。
私はこの本を読んでから、古本屋で児島さんの本を買いあさっています。