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和書 508082 (132)



単子論 (岩波文庫 青 616-1)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 微分法の発見者の1人であるライプニッツですが、この著書では数式も全く出てこず文系でも非常に読みやすいです。精神と物の対象関係というのは、近代哲学のお決まりな構図なのですが、著者はこれをどちらも悟性でしか把握できない「単子」による創造物とみなします。そして、「単子」のなかに多様な力=可能性があるのだと定義します。全ての事象はこの「力」の放散・継続の過程での発生物であり、またこの力の源泉は「神」である。(この「神」の部分をすっ飛ばしたのがドゥルーズ「差異と反復」だとも思えます。)このような認識に至った彼にとって、形而上学と物理学のバランスは形而上学の絶対優位にあります。(彼はかつての自分を「唯物論者だった」と本書掲載論文「自然そのもの」で語っています。)

 今、高校の時に習った二次曲線を点の運動としてイメージしてください。ここまではニュートンと一緒。で、ニュートンよりずっと「哲学」ができたライプニッツにとって、微分の結果導出される点の運動のベクトルの「力」の定義式は、そのものずばり「単子」に神が打ち込んだ力の定義式だったのでした。この点と単子のイメージが重なるところが、この本の真骨頂ではないでしょうか。ニュートンだって魔術的に信仰の世界に嵌まっていた人ですが、ライプニッツの方が形而上学に造詣が深かったし、何より古典的な意味で信心深かった。その結果、同じ微分法発見者でも、ニュートンの延長に近現代天文学と物理学が発展しているのに対し、ライプニッツの延長にはドゥルーズの哲学がある。

 近代の哲学と(物理)科学の裂け目で、哲学側に居たのが真面目なライプニッツで、科学側にいっちゃったのが俗物ニュートン。そんな風に「哲学と科学」について思いをはせられる古典がこの本です。なお、この本に載っている上述の論文でスピノザ批判の一文があります(509ページ)。この箇所は神学論争として読むと、凄く面白いです。




人知原理論 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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 バークリの英語文は平明で整理がついており用語が繰り返し使われるので非常に読みやすい。この大槻の訳書と合わせて原文の『人知原理論』を読まれることをすすめる。
 バークリの言わんとすることは、知覚されているものが存在しているということを述べて人を面白がらせようとしているものでは全くないので、興味本位で本書を読むのはやめておいたほうがいい。厳密な哲学的考察にはねつけられるだけである。本書では知覚=存在論をどんどんすすめて、神の言語として自然界があることなど、意外な興味深い記述がある。私が知覚しなくても万物を知覚している神があるので事物は片時も消えないというのがバークリの最大の結論である。これは実は超越論哲学でさえある。
 




人性論〈1〉―第1篇 知性に就いて〈上〉 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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懐疑論者として名高いヒュームの人性論。第一編(1、2巻)は知性についてですが、正直ほとんど分かりませんでした。ヒューム自身の問題というより訳が古すぎるせいです。言葉遣いはおろか漢字も旧式です。おそらく哲学マニア向けです。

とはいえ、ヒュームの思想自体はとても面白いと思っています。第三篇(文庫の第4巻)の私のレビューを参考にしてみてください。読んでみての感想ですが、第三篇(4巻)→第二編(文庫3巻)→第一篇(1巻と2巻)の順に読んだ方が分かりやすかったのではないかと思います。第三篇の道徳論は非常に面白いので、そこを読んで興味がもてたら、そのような道徳論が展開される理論的背景を探っていく、という読み方がいいのではないでしょうか。





デイヴィド・ヒューム 人性論〈2〉―第1篇 知性に就いて〈下〉 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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知性についての後半。いよいよわからなくなります。マニア向けです。細かい議論を理解しようとするのはほとんど不可能だったので、流れだけを意識して読んでいました。もっとも、流れを追うことすら厳しいですが。せめて漢字が現代のものに直されていたらもう少し読みやすかったのに、と思います。岩波書店は漢字や仮名遣いを改めるべきです。

人性論のほかのレビューにも書いたとおり、第三篇(4巻)から読むことをお勧めします。




デイヴィド・ヒューム 人性論〈3〉―第2篇 情緒に就いて (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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自負と自卑、愛情と憎悪、意志と直接情緒などの二対の情緒について、分析がなされます。ここで、人性の顕著な性質として「共感」があげられています。

見どころは第三部の次の部分。つまり「理知(=理性)は情緒の奴隷であり、かつただ奴隷であるべきである。換言すれば、情緒に奉仕し服従する以上の何らかの役目をあえて僭望することは決してできないのである」という言葉。人間は理性によって情緒をコントロールすることで道徳的に振舞うことができるという考え方を鋭く批判し、同時代の人びとを驚かせました。

現代においてもぎょっとする言い方ですが、彼が「理性」で何を意味しているかを理解すれば、けっこう納得することができます。この巻は読みどころ満載です。お勧めします。





デイヴィド・ヒューム 人性論〈4〉―第3篇 道徳に就いて (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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個人的には第一編の思考の迷路に迷い込む前に、この第三篇を読んでみることをおススメします。懐疑論者として名高いヒュームが、実は正義の体系の導出を試みていたことが分かります。

人間を、利己的だけれども共感をもった存在として捉え、そこから社会の生成について考察し、ひいては正義の体系を導出します。ホッブズよりもはるかに現代的感覚に合致しており、それでいて興味深い正義の体系が築かれています。

「人性論」の訳はとても古く読みにくいですが、本書は何とか我慢して読めます。思想に興味のある方はホッブズやロックやルソーの社会契約論も読んで、それと比べて見ると面白いと思います。近年読んだ中で、最も面白かったものの一つでした。





社会契約論 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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「民主主義=多数決」。多分、皆さん小学校でそう先生に言われましたよね。「多数決は民主主義の原則です!!」、とか言って。「じゃあ、人を殺してもいい法律とか人をイジメてもいい法律とか作ってもいいのかよ」って、思いませんでした?
 実は歴史上、民主主義がそんな酷い法律の制定におおいに拘わったことがあるんですよね。言わずもがな、ヒットラーのナチ党の話です。

 子供の素朴な疑問から、近代史の謎までをカバーする、古典の名作です。責任を持った大人として一読しておきましょう。

 ちなみに「中公」との違いは、「岩波の方が詩的・文学的で格調高い」、と云うことでしょうか。・・・・・・逆に言うと、論文調じゃないので、文芸書を読み慣れてないと難読、と云うことなのですが。






百科全書―序論および代表項目 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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2006年,6年ぶりの重版で手に取りました。
世界史の教科書ではおなじみの『百科全書』ですが,中身を読んだことは今までありませんでした。
「序論及び代表項目」というサブタイトルのとおり,内容は16項目を抄訳したものですが,原題の副題(「または学問,芸術,工芸の合理的辞典」)に示された3本柱から,哲学,自然法,主権者,親権,平和,奢侈,力学,技術,天才,美などがバランスよく訳出されています。

フランス革命間近い18世紀後半に編集執筆されたものでありながら,「親権」の項目などを読むと,真の意味での「近代」は,現代の日本にも根付いているとは言い難いことを感じます。
すなわち,本書でジョクールは「親権」(原語はPouvoir paternel=父親の権限)を「父と母とがその子に対して有する権利と権能」と定義しつつ,「理性的に考えるならば,母も父のそれと同等の権利と力とを有することに気付くであろう」と述べ,「父と母とが子に対して有する力は,子が未成熟の状態にある間,子の世話をせねばならぬという彼らの義務に由来する」と指摘し,「父母は子の保護者,監督者としての資格においてのみ親権を有する」,「親権は力というよりもむしろ義務である」と喝破するのでした。




純粋理性批判 上 岩波文庫 青 625-3
販売元: 岩波書店

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 まず訳の問題について言えば、分かりやすい日本語とは到底程遠い代物であることは
紛れもない事実。ただ、翻訳者がどうこう以前に、本人のドイツ語があまりに混沌とした
悪文なので、とても責める気にはなれない。訳語も出来上がってしまっている部分があって、
下手に気を利かせるとかえって何を言っているのか分からなくなってしまうこともあるわけで
(それをやってしまったのが谷川氏のデカルトだろう)、そういう事情も多少は斟酌すべき。

 そして、まさかいないとは思うが、宇宙論どうこうという見出しに魅かれて買うのならば、
それはやめておいた方がいい。言うまでもないことだろうけれども、現代の宇宙工学やらとは
ほぼ無関係な話。当時の天文学等を知りたければ、他にもっと適したテキストはあるはず。

 カントにおいて、とりわけこの『純理』において感動的なのは、これでもか、とばかりに
緻密に論理を組み立てて、必要最小限の道具立てから己の脳とことばでもって徹底的に
「批判Kritik」を繰り出すその態度、さらにその上で、結局、有限な人間に分かるわけない
だろ、無理、と語るその潔さ、挙げ句の果てにはなぜ無理なのかも「批判」する始末……。
 カントを特徴づける「異常さ」(どのような意味において異常なのか、はここではあえて
言及しない)がこの上なく表現された不朽の名品、それが『純粋理性批判』。

 現代の自然科学者からしたらきっと、ただの妄想としか思えないような代物かもしれない、
というか、そうだ。
 しかし、人間の営為としてのそのサイエンスを文字通り基礎づけている徹底的に論理的、
分析的姿勢がこの本には満ち溢れている。
 そんな真摯なカントに触れたい人は是非。




純粋理性批判 中 岩波文庫 青 625-4
販売元: 岩波書店

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 まず訳の問題について言えば、分かりやすい日本語とは到底程遠い代物であることは
紛れもない事実。ただ、翻訳者がどうこう以前に、本人のドイツ語があまりに混沌とした
悪文なので、とても責める気にはなれない。訳語も出来上がってしまっている部分があって、
下手に気を利かせるとかえって何を言っているのか分からなくなってしまうこともあるわけで
(それをやってしまったのが谷川氏のデカルトだろう)、そういう事情も多少は斟酌すべき。

 そして、まさかいないとは思うが、宇宙論どうこうという見出しに魅かれて買うのならば、
それはやめておいた方がいい。言うまでもないことだろうけれども、現代の宇宙工学やらとは
ほぼ無関係な話。当時の天文学等を知りたければ、他にもっと適したテキストはあるはず。

 カントにおいて、とりわけこの『純理』において感動的なのは、これでもか、とばかりに
緻密に論理を組み立てて、必要最小限の道具立てから己の脳とことばでもって徹底的に
「批判Kritik」を繰り出すその態度、さらにその上で、結局、有限な人間に分かるわけない
だろ、無理、と語るその潔さ、挙げ句の果てにはなぜ無理なのかも「批判」する始末……。
 カントを特徴づける「異常さ」(どのような意味において異常なのか、はここではあえて
言及しない)がこの上なく表現された不朽の名品、それが『純粋理性批判』。

 現代の自然科学者からしたらきっと、ただの妄想としか思えないような代物かもしれない、
というか、そうだ。
 しかし、人間の営為としてのそのサイエンスを文字通り基礎づけている徹底的に論理的、
分析的姿勢がこの本には満ち溢れている。
 そんな真摯なカントに触れたい人は是非。


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