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和書 529056 (108)



第三階級とは何か 他二篇 岩波文庫
販売元: 岩波書店

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市民政府論 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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 歴史において市民革命を知らぬままに「近代」的な法形式、政治形式を取り入れてしまった
この国においては、市民が知的に革命を経験することによってのみ、その歴史の不在や矛盾を
補うことができる。そのために必読の一冊。

 本書は『政府二論 Two Treatises of Government』の第二論文の翻訳。ロック本人の英語は
あまりに悪文で、頭痛なしには読めない代物。

 理解にはまずなによりも、トマス・ホッブズの前提が欠かせない。まずはそちらを読まれる
ことを勧める。その上で、ロック的特質のハイライトは何と言ってもかの高名な「抵抗権」の
議論。他のレビューが言及するように、ひとつには、アメリカの建国理念と現行の合衆国
憲法の理解に不可欠なお話。無論、日本国憲法が想定する政治システムを把握するためにも
限りなく有効。

 各人が賢き市民たること、それこそが「近代」の不可欠の前提。そのための前提をなす
重要な一冊。




元気がでる介護術 (岩波アクティブ新書)
販売元: 岩波書店

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面白かった。
介護について書かれた本なのに、なぜか内容にロックを感じた。
すごい本だ。

アマゾンの書評でも珍しく五つ星をつけることにした。
私のと同じく看護師である私の奥さんにも、ぜひ読むようにと推薦した。

この著者もすばらしいと思った。
この著者の他の著作も読もうと思う。

本書を読んで、介護と看護の違いについて気づかされた。
介護の対象は、病気を持つ人ではないのだ。
これは非常に当たり前のことなのだが、老化を正常からの逸脱と考えることが一般的な世の中では、それがぜんぜん当たり前でないのだ。
私の中でも、その辺のことがかなりあいまいだった。

それから、
介護とは、技術ではなく、関係であるということ。
感動した。

リハビリに熱心な人が実は、現実から逃避している場合があったり、
その逃避すら、その人らしさとして認めることからはじめないといけなかったり。

読んでいて、大切なことに気づかされ、また、考えさせられることばかりだった。




オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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 学術的な著作と言うよりはかなり思い入れの強い書物です。たとえば
 181ページにおいて著者は「ボスニアにおける自滅的なナショナリズムの拮抗」(著者は現在なら民族主義による虐殺というはずだが・・・)は、「ヨーロッパ合衆国のなかでアメリカ合衆国の黒人やヒスパニック系諸民族の地位に転落するのではないかという不安に駆られたとしても、決して不思議ではない」と述べています。
 それはないでしょう。そもそもマケドニアが台湾と国交を結んだため、キレタ中国が、国交を結んだ翌日、国連軍撤退を強硬に主張し、撤退したため虐殺がおこったのですから。
 ですが議論は世界システムと反システムに収斂され、プロレタリア化の話に進んでいきます。
 本書はそもそも1996年に出ているのですがこの文庫版ではなぜか、ソ連の飛行機を利用した経験が語られ、ソ連のシステムが崩壊することを予感していた、旨が述べられます。
 その後イランで「アメリカに死を!」と叫ぶ群衆に対して、「恐ろしさを感じるかもしれない」が、生き生きと議論するドイツ在のイラン「留学生(?)」を見てイメージが壊れたのだという。
 更にイラン革命による治安部隊による虐殺のなまなましさが日本では報道されていないことに注意を促す。が、それをしなかったのは左派メディアなのだが・・・。
 無論それらのメディアは文革やスターリンの所業についても報道していないのだが。
 まだ論点は多いが、ところどころにはさまれる世界情勢に対する解釈がアクロバティックだ。それらが正しいとするなら世界的大発見といえるであろうしもはやマルクス、ヴェーバーの域であろう。
 ドイツに行くだけでなくほかの世界にも目を通していただきたいと感じた。




韓国のナショナリズム (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

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これまでの韓国論というと韓国べったりか嫌韓かといったバランスのとれない、一方的な論が多かったように思う。また、昨今の韓流ブームの中ではポップカルチャーのみが注目され(それはそれで重要な流れであるが)、韓国の文化・社会に目が向けられることは少なかった。

この韓国論は冷静なものである。
在日出身で韓国での留学歴も教員歴もある著者は日本における韓国論・韓国における日本論のぞれぞれを鋭く論評し、有意義な両国の関係について考察していく。

この書で特に興味深く感じたのは表題にもなっている「韓国のナショナリズム」についてである。日本を通じて近代化した韓国においては社会制度のみならず文化の面にも日本の影響が色濃く残っている。そして被占領下にあったという歴史から日本の影を払拭しようという動きと払拭しきれない影をできるだけ誤魔化していこうとする過去の動き、そして奇妙なまでに肥大化した自意識と日本への敵対心。日本との比較の中でしか語り得ない自国のアイデンティティというものはやはり健全とは言えないだろう。それは隣国に正面から向き合ってこなかった日本の責任でもある。

この書を読んで昨今の韓国での不健全に見えるナショナリズムや反日運動が一部の動きでなく全体に受け入れられていくの思想的・文化的な背景や基盤が少し見えてきたような気がした。




近代―未完のプロジェクト (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

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 現代ドイツを代表する社会哲学者ハーバーマスの、1980-90年代の主要な政治的発言を集めた論集。その内容は、近現代に関する原理的な考察、ナチス犯罪の相対化に対する批判、社会主義の批判的考察、東西ドイツ統一の経過と結果への批判的検討等の多岐にわたる。ドイツ現代史に関する一つの証言であると共に、現代日本について考える上でも多くの示唆を与えてくれる。とりわけ、一例として「核時代の市民的不服従」(1983年)という論考について述べれば、この市民的不服従とは、民主的な国家体制下で「公になされる、非暴力による、良心に規定された、違法の行動」であり、重大な不公正が起きている個々のケースに向けられ、成果が期待できる合法的な圧力行使のさまざまな手段が試みられかつ可能性が尽きている状態で、憲法秩序全体の機能を脅かさないような規模の、象徴的な抵抗運動である(原発建設の工事現場の占拠など)。その際、運動家は逮捕されることをも厭わない覚悟が必要であり、国家の側もあまり厳しい処罰を行なわないことが期待されている。ただ、これにはいくつか難点がある。まず、不服従は道徳的な根拠を持つべきことが要求されているが、その基準は曖昧である。また、国家の側の寛大さをどれだけ当てにできるかも難しい。現代日本において、こうした行為の意図が正確に受け取ってもらえるかどうかも微妙である。私自身も安易にこうした行為を賛美する気はないが、ただ理性的な対話を強調するハーバーマスが、それゆえにこそ対話の限界を見定め、こうした行為の正当化をしている事実は興味深い。民主主義国において、選挙以外にも署名・請願などの権利が定められていることは、いかなる国家であれ選挙のみでは十全な民主主義が実現できないことを意味しているように思う。善悪の境界線上にある市民的不服従について考えることは、こうした民主主義の多義性を考える上で大きな示唆を与えてくれる。

                          




言語からみた民族と国家 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

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「さいきん言葉が乱れている」とよく聞く言葉に日頃から違和感を抱いていた。言葉は常に変化するものだし、何をもって乱れというのか。「言葉が乱れてけしからん」と批判する年長世代は、明治大正時代の言葉を喋れと言うわけでもないし、実際誰も喋れない。さらに現在乱れを批判する年長世代は、そのさらに上の世代からすると「乱れている」と批判される立場にあるのではないか。つまり、現在言葉の乱れを批判されている若者世代は、後に年長になると年少世代の言葉を「乱れている」と批判するようになるのではないか、そういった繰り返しではないのかと漠然と考えていた。

著者は、地球上のことばで微動だにしなかった言葉はない、言葉とは乱れの結果であり、乱れてしまった状態をその時代ごとに都合よく「うつくしい」というのであると主張する。また、文法を与えられ文字化される「エリート言語」と、文字化されず、軽視されがちな俗語を対比して論じ、エリート言語を重んじようとする風潮をつよく批判している。言葉は家族や土地から学び始めるのだし、日々発する生きた言葉に実感が伴っているのであると。また、言語の「うつくしさ」や「正しさ」は、言葉自体にあるのではなく、性別、出身地、社会階層、歴史といった外的権威に左右されているのであるという意見は、とても鋭い。そこに公平な判断はまず不可能という。

言葉からみた国家と民族については、カウツキー、レーニン、スターリンが主張してきたマルクス主義における民族や言葉の定義とその変遷を中心に取り上げている。そこでは、民族と言葉の定義を変更せざるを得なくなった苦心や矛盾を浮き彫りにしており、非常に興味深い。
言葉は、制度でもあり個人的でもあり、「非常に矛盾をはらんだ活動」と著者が言う通り、また流動的でもあるがゆえに容易に全体を掴むことはできないが、本書は、方言の様に毎日の何気ない一言からでも、言葉を考える鍵を与えてくれる。言葉に日々疑問を持ち続けている人には是非お勧めです。





言語の思想―国家と民族のことば― (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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この現代文庫版の最大の売りは斎藤美奈子の解説。あの軽いパフォーマンス的な文章でそれなりにカタめの言いたいことをけろけろと表現してのける文体の秘密は、意外にも田中言語学にその一端があったのである。それにしても、田中氏の愛読者が大学で言語学など志すと全く違うもので、、、という一節は全くその通り。本書は、昔に書かれたものだが、常にマイノリティの立場から言語問題を考える田中氏の個人的背景も語られていて興味深い。この点、言語政策については全く観点の異なる鈴木孝夫氏の著書が、この頃でもしばしば批判的に引かれているのが可笑しい。




黄禍物語 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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本書は、日本では数少ない、黄禍論について書かれた本である。

欧米における黄禍論の勃興と展開、それに日本における黄禍論に対する反応などについていろいろと書かれているのは良いのだが、しかし299〜308ページの「中国の思想伝統と人種意識」という箇所の議論には、大いに疑問を感じざるを得なかった。

というのも、ここには「黄禍論はもとより、一般に人種を差別するという考え方が、中国にとっては不可解な事柄であったように思われる」「そして私はこうした立場−世界観はなにも中国共産党に固有のものではなく、伝統的に中国のものの見方であったように思われてならない」などと書いてあるからです。

ここで誰しも(肌の色などで差別する人種主義とは少し違うが)「中華思想」というのを思い出さないわけにはいきません。

学校で「東夷・西戎・北狄・南蛮」という言葉を習ったことを憶えておられる方も少なくないでしょうし、また昔は、中国国内&周辺の少数民族の民族名を表記する際に、中国人はしばしば「獣へん」や「虫へん」の漢字を当てたりしたということをご存じの方もおられることでしょう。

さらには、清の時代にはイギリスとさえ対等な外交関係を築くことを拒絶したことなども考えれば、とても中国人の態度は誉められたものだとは思えません。

ということで結局「中国には中華思想というのがあって、中国以外の国はみんな中国よりも格下だという差別意識があったので、肌の色などで差別する必要がなかった」ということなんじゃないかと私なんかは思うんですが、しかし本書の著者はどういうわけだか、そういうふうには考えておられないようなんですね。

どうもこういう議論を目にしてしまいますと、どうしても「ここ以外の部分も大丈夫なのかな?」という疑いの気持ちが起こってしまいます。

こういったことを考えますと、本書は、黄禍論について調べる際の叩き台としては便利かもしれませんが、しかし鵜呑みにするのは危険かなと思いました。




社会思想の歴史―ヘーゲル・マルクス・ウェーバー (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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ヘーゲル、マルクス、ウェーバーの20世紀社会思想への影響は甚大で、かなりの部分がすっぽりこの影響下に入ってしまう、と言っても良い位だ。いずれも、大著型の大思想家で、方法論、体系どれをとっても、規格が度外れているので、理解は容易ではない。結局、ひとつひとつ読まねばならないのだが、それでも、一つ良いナヴィゲーターが居るに越したことは無い。本書は格好の水先案内人だ。これだけの思想家に対して、「スタンダードな理解」を示すことは容易ではないのだから、年季の入った思想史家ならではの労作だと思う。が、比較的小ぶりの文庫本であり、きれいに纏め上げた手腕は並大抵ではない。ただ、「疎外」の問題を重視して、また、フロイトを流れに組み入れて最終的に、マルクーゼへと流れていくかのような構成は、それはそれで一つとはいえ、今となれば古さと賞味期限切れの感が無くも無い。が、なお今日的問題だと言えないことはないから不適当と言うわけではない。なによりも、大思想家の「聞かせどころ」を上手に紹介しているのが良いと思う。ロックからカント、ロマン主義、テンニエスなどもページを割いているのも流れを正確に伝えてくれる。巻末の社会思想史年表は決してよく目にするものではないだけに貴重だ。


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