和書 538546 (143)
影男〈ブラック・バンク編〉―日本拳銃無宿 (1975年) (TOPコミックス・シリーズ)
販売元: 秋田書店
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鹿児島の文化遺産―時の流れの中で
販売元: 丸山学芸図書
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カザンラク壁画古墳―古代トラキラの遺跡
販売元: 恒文社
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貸画廊の上手な利用法―自分の展覧会を開こう! (実践アートシリーズ)
販売元: ギャラリーステーション
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ポストアート論 (風の薔薇叢書)
販売元: 白馬書房
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風の歌/A.ユパンキ(ソンコ・マージュ訳)
販売元: 現代ギター社
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片岡鶴太郎 当意即妙
販売元: マイストロ
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形は語る―視覚言語の構造と分析
販売元: サイエンス社
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堅山南風 (1971年)
販売元: 時の美術社
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片山杜秀の本(1)音盤考現学
販売元: アルテスパブリッシング
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吉田秀和絶賛ということで読んでみた。吉田秀和が絶賛する日本人の書いた本というのは最近珍しいから。
なるほど、テーマが極めて個性的であり、片山の幅広い教養が生半可なものでないことが感得できる。文章もまあうまい。それぞれの論の展開も刺激的だ。しかしだ。彼の考えは今ひとつハッキリしない。
たとえば、小林研一郎の『パッサカリア』と山田耕筰の『明治頌歌』の類似性に触れて、山田の時代からコバケンの現代まで日本人(というより、日本の作曲家の、といった方が正確だろうが)の気質は変っていないと閉じているが、それでどうだというのだ。それは悪いことなのか。よいことなのか。あるいはわからないのか。片山自身の考えがわからない。
朝比奈の項目でも、それでは彼は朝比奈の「無国籍性」を評価しているのか、あるいは揶揄しているのか?
盟友らしい許光俊は、朝比奈についてはっきりと馬鹿にしている。コバケンしかり。わかりやすい。許はその点、言論公表に責任を負っている。
しかしながら、片山の文章では、彼が言及するあれこれについて、どう思っているのかが曖昧である。
面白いことは面白いし、色々と知識は得られるが、彼自身のスタンスがもう一つ不明であって、そのことは批評家としていかがなものなのか。疑問を禁じえない。