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和書 554120 (393)



戦争責任―過去から未来へ
販売元: 緑風出版

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戦争責任我に在り―東条英機夫人メモの真実
販売元: 光文社

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戦争体験―1970年への遺書
販売元: 朝文社

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戦争体験の真実―イラストで描いた太平洋戦争一兵士の記録
販売元: 第三書館

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 戦争体験の本をたくさん持っている同僚がおり、彼女が「初心者用」として貸してくれたのが、この本でした。
 作者のラバウル(パプア・ニューギニア)での生々しい体験を中心に、その現実や感情がそのままに描かれています。戦地までの移動の列車、アメリカ人兵隊との心の交流、慰安婦、爬虫類を食べる日々、脱落し死んでいく仲間・・・行った本人でなければわかりえない、また現在の日本の生活では想像もしえない日々がそこにはあります。読んでいる間中、作者と自分を置き換えつつ「はあ~こんな状況だったんだ」と想像を繰り返し、ため息をつき眉をしかめ、また時に微笑み、ページとともに泣き笑いしました。また、作者のユーモアあふれる表現や絵により、さらに現実感を増していると思います。今でも胸に焼き付いて離れない絵、文章が数々あります。
 この文章は内容によって短く区切られており、同じページに作者の書いた絵やコメントが入っているので、大変読みやすいです。ぜひ中学生、高校生にも読んで欲しいです。




戦争体験の真実―イラストで描いた太平洋戦争一兵士の記録
販売元: 第三書館

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戦争中毒―アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由
販売元: 合同出版

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なぜ、戦争をやめられないのか?作者の思いではなく、ファクトを紹介していれている一冊である。
戦争によって利得する人々が居ることを知らなければ戦争は地球上からなくなることはないことに
気付かせてもらった一冊である。
直視したくない問題かも知れないが、真実を知り人ひとりの責任を全うすることが良識ある大人の
責務だと感じる。そんなことを気付かせてくれた一冊だった。





戦争で涙した女たちのどうしても語りたかった話
販売元: 汐文社

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戦争という風が吹いて
販売元: 新風舎

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戦争という仕事
販売元: 信濃毎日新聞社

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戦争が仕事になっている現代、私たちは労働をどのように捉えておくべきか、考えさせられます。内山さんは特に自然とのかかわりの中での労働を自分が上野村に住んだ経験から考察しています。根本的な部分は養老先生の思想と全く同じではないかと感じました。脳化してしまう社会(労働)の脆弱性は体を使って感覚を自然の中で取り戻すことでしか再生しないのだと。
備忘録として少し書き留めてみました。
はっきり述べてしまえば、アメリカは先住民を抹殺という恥ずべき行為の上に成立した国である。だがその恥を認めることは、建国自体が不正であったことを認めることにつながる。たとえこの過程で少々の問題があったことは認めても、建国とその後の歴史は、文明の偉大な発展として肯定する他にないのである。そしてそれを肯定するかぎり、自分たちに同調しない異文化の社会はその記憶をふくめてその社会に自分たちの文明を提供しながら、その文明の支配圏を拡げ資本主義の利益と合致せるという方法も、アメリカ的自由を守る武器として肯定されつづけることになる。私は現代の戦争の出発点はここにあると考えている。p37
労働に対する動機と「信用を高める」ことが結びつかなくなったとき、日本の社会は、真面目に働くことの意味を見失ったのである。その結果、多くの人たちは真面目に真剣に働きたいのに、その情熱をむけることのできる仕事がみつからないという今日の状況が生まれた。p78
18世紀後半のフランスの経済学者ケネーは、農業だけは富を増加させていると主張した。それは農業には自然の生産力が加わっている。彼は社会の富の総量は自然の生産力によってもたらされた以上にはふえないと考えた。p82




戦争と映画―戦時中と占領下の日本映画史
販売元: 社会思想社

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清水晶の『戦争と映画』は満州事変から始まる日本人の「戦争」意識を、映画という媒体を通して描き出す。それは「大東亜戦争」というものの性格を浮き彫りにすると共に、映画同様に作られたイメージでしかない。戦時の映画産業はプロパガンダを通して、いかに戦争に協力してきたのかということをあらためて理解することができる。映画会社は肉弾三勇士をテーマに「きわもの映画」を次々と製作し、満州国建国における「王道楽土」の夢を描き、支那事変からは軍隊の士気や国民の戦意を昂揚させるために重要な役割を果たしたのであった。映画は日本人の独りよがりな愛国心や平和を映し出す国策として組み込まれていく。清水は映画のテーマとその背景を照らし合わせることで、日本人の「断絶」された戦争意識を指摘する一方、読者は中国人の満州事変から一貫しており、「十五年戦争」として日本を侵略者として位置付けていたことを理解することができる。

当初、米英との戦争に入り映画は英雄としての日本軍を映し出したことはよく知られている。しかし戦局の悪化と共に、国民に忍耐の美徳を生産工場で人々が働く姿を通して描く黒沢明の『一番美しく』などの「国民映画」は興味深い。何重にも統制された状況で、映画監督たちは、果たして戦争の宣伝屋に成り下がったかどうかは議論が分かれるだろう。マクロ的なアプローチをとる本書では個々の映画の内容については軽くしか触れられていないのは残念だ。日本人庶民の戦争観を形成は、戦後の占領下での民間情報教育部によって徹底的に否定された。そしてその否定は映画の規制を通じて、またしても同じ庶民へ伝えられた。結局、清水によると、日本映画はその自由な表現を戦争が終わっても行うことができなかったのである。広島の原爆被害の状況を記録したフィルムを、危険を冒してGHQから隠し、占領後すぐに『アサヒ・グラフ』で特集を組んだ逸話は非常に興味深いものであった。


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