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和書 554168 (51)



恩讐の師弟対決―オウム「教祖」法廷全記録〈1〉
販売元: 現代書館

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私は無罪だ!!―オウム「教祖」法廷全記録〈2〉
販売元: 現代書館

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オウム裁判傍笑記
販売元: 新潮社

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 「オウム法廷」降幡賢一著 と、この本で、あの裁判の全容が判った気がします。「オウム法廷」は、事実を、客観的に描いています。この、「オウム裁判傍笑記」は、その裁判に実際にかかわっているはずの、弁護人・麻原の気持ちが、見事に描かれています。
 司法と宗教と。絶対相容れない価値観が、ここにあらわになっていきます。

 両方読むことをお勧めします




オウム真理教事件―宗教者・科学者・哲学者からの発言 (仏教・別冊)
販売元: 法蔵館

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オウム事件と日本の宗教―対談 捜査・報道・宗教を問う (三一新書)
販売元: 三一書房

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オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚〈上巻〉 (新風舎文庫)
販売元: 新風舎

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なんとも言えない。
その言葉が最初にきてしまう。

カルト・宗教…が、もたらす不幸ってこんなにも辛く、
深い暗い谷底に落とされるような感覚。

一対一の事件ではないからこそ、余計に被害者の人達も苦しい。
どこに怒りを向けたらいいのかわからなくなる。

著書は、裁判を通して、事件に関わった信者達を観察し、
細かく事件と照らし合わせながら、個々の人物像に迫っている。
そして、怒り・悲しみ等を、淡々と書面に綴りながら熱さを感じる。

この本を読むと、被害者側の知性高さ・人としての温かさを感じ、
加害者となってしまった信者の人間性、人間の心を取り戻す過程。
今もなお、盲信してしまった心と人間性との狭間で揺れる心情。
教祖の馬鹿馬鹿しさ。怒りが込み上げる。
行政・国家権力の、無責任・アンフェアなやり方。
いろいろなものが見え隠れしている。

加害者である信者・・・
もともとは本当に普通の学生だった。
真面目過ぎる程。
誰にでも本当に落とし穴はあって、
誰にでも簡単にカルトにはまる要素を持っていると、改めて痛感した。

どうか公平に裁判を行って欲しい。
そういう、様々な複雑な気持ちが出てくる一冊(上下で二冊)です。




オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚〈下巻〉 (新風舎文庫)
販売元: 新風舎

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オウム帝国の正体
販売元: 新潮社

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この作者の作品は全て読んでいるが、普通に新聞記事を読んでいればわかるようなことと、
○○幹部、とか○○組系、などという言葉を多用し、意見に過ぎないのに結論を出し、
最低のレベルの本を書いているに過ぎない。裏を取ったといいながら裏を書かないのは、
嘘を書いているのと同じである。本書でも権力や利権構造があるように示しながら、臆病
なのであろう、それらを糾弾することもない。自画自賛の文章も出てきて吐き気がする。
まさに売文屋だ。こういう本に喜んでいるのは馬鹿な読者だけ、警察官僚も私の知り合い
にいるが、どうしようもないと言っていた。そもそもまず殺されるのが怖いなら書くな。
書くなら家族も含め殺されることを覚悟して書け。そういう気概がなければただのゴシップ
でしかない。それが著者の目的であるならただ軽蔑するだけだが。立花隆を少しは見習え。
従軍記者を少しは見習え。小林よしのりを見習え。命を懸けて物を書いている者を貶めるな。
それから被害者に何の配慮もないのも呆れてものが言えない。被害者はこの本は絶対に
読みたくないだろうし、売っていて欲しくないだろうし、存在していて欲しくないと思う
はずだ。筆者は、被害者や弱きものに対する想像力が皆無なのだろう。




オウム帝国の正体 (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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この作者の作品は全て読んでいるが、普通に新聞記事を読んでいればわかるようなことと、
○○幹部、とか○○組系、などという言葉を多用し、意見に過ぎないのに結論を出し、
最低のレベルの本を書いているに過ぎない。裏を取ったといいながら裏を書かないのは、
嘘を書いているのと同じである。本書でも権力や利権構造があるように示しながら、臆病
なのであろう、それらを糾弾することもない。自画自賛の文章も出てきて吐き気がする。
まさに売文屋だ。こういう本に喜んでいるのは馬鹿な読者だけ、警察官僚も私の知り合い
にいるが、どうしようもないと言っていた。そもそもまず殺されるのが怖いなら書くな。
書くなら家族も含め殺されることを覚悟して書け。そういう気概がなければただのゴシップ
でしかない。それが著者の目的であるならただ軽蔑するだけだが。立花隆を少しは見習え。
従軍記者を少しは見習え。小林よしのりを見習え。命を懸けて物を書いている者を貶めるな。
それから被害者に何の配慮もないのも呆れてものが言えない。被害者はこの本は絶対に
読みたくないだろうし、売っていて欲しくないだろうし、存在していて欲しくないと思う
はずだ。筆者は、被害者や弱きものに対する想像力が皆無なのだろう。




オウムと私
販売元: 文藝春秋

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 筆者は,麻原が解脱者であると信じてしまうと,それに反するような証拠があっても,「深い考えがあるのだろう」と疑問を封印してしまって,芽生えかけた疑問を直視しようとしない。確かに,いわゆるマインド・コントロールの結果,最終的にはこのような心境に至ってしまうのだろう。
 しかし,林は,もともと,≪自分の力では解決できず,またとらえどころのない問題も含めて,世の中のすべてを包括的にかつ総合的に説明できて解決に導くような法則≫を発見し,人々に説くことを「人生のテーマ」と考えていた人間だった。そんな,あるのかないのか分からない宗教的テーマを追求して,宗教書を読み漁り,阿含宗などを訪れた末,オウムに至っている。そして,林は,自己の悪行を悔いている現在でも,このような「人生のテーマ」自体を疑っている気配がない(だから,「バルドーの悟りのイニシエーション」それ自体は純粋な修行上の手段であるなどと考えている)。
 問題は,上記のような法則が間違いなく存在し,ある方法によりそれを探すことができる(=それを知っている者が必ずいる)という考え自体にあるのではないか。こういう考え方自体を疑ってかからない限り,第二・第三のオウムはなくならないのではないか。
 林は,主観的には誠実・まじめに自分の悪行を直視し,その原因を追究しようとしているだけに,何とも痛々しい感じがした。



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