しかも、この本ではないが、癌になったのに、西洋医学の力をつかわずに元気に生活している人、ほとんどなおってしまったとしか思えないくらい回復した人、今現在全力で癌と戦っている人など、信じられない体験をしている人を実際に目撃している。一体なにがおこっているのかというのが癌関係の本を読み始めるきっかけだった。
この本は解答を与えてはくれなかったし、いわゆるノウハウ本でも決してない。しかし、ひとつの道筋を示しているようには自分に思える。この道が希望へほんとうにつながっているのか、あるいは絶望へつながっているのかがわからない。
肺がんになって
ここ あそこから
如来様の説法が
少しずつ
きこえてきます
今現在説法
真只中でございます
筆者は北海道斜里町の西念寺(真宗大谷派)の坊守だった方。昭和62年、乳ガンの肺への転移を告げられ、手術を受ける。そんなある日、筆者は尊敬する教育者で浄土真宗の僧としても知られる東井義雄に「乳ガンの手術に続いて肺ガンの手術を受けたが、お念仏にであえたしあわせにひたっている」という手紙を出す。
東井は「如来さまは、今も現に在して不断にご説法なさっているのですが、私たち、元気なときには、こちらの受信機の方に雑音が激しすぎて、ご説法を聞き逃しがちです。
病気の時にこそ、何をさておいても、如来さまの今現在説法に耳を傾けさせていただきましょう。(中略)私どもの心をゆさぶってくださる如来さまのご説法は、どうか心してそれをメモして下さい。それは、おそらく短詩の形になると思いますが、それをメモすることによって、ご説法がはっきりと私のものになってくださる」と返事を書いた。
それに触発されて書かれた詩集が本書である。死の床にありながら、深い内省と、周囲への感謝にあふれた透明なことばである。
改めて、真宗はすごいと思った。
それは別としても、このような死に方は「どうやって死ぬか?」を考えない限り簡単にはできないだろう。私はこのレビューを書いてから何年後に死ぬかわからないが、恐らく、この著と、既に持っている死についての多くの文献から、死に方を考えるだろう。その重要な著が、これである。
それにしても、逸見政孝さんのアナウンサー魂は凄いものがある。何しろ、大変タチの悪いガンに冒されていたのに、死ぬまでアナウンサーとしての執念を忘れず、病魔に立ち向かっていったのだ。残念ながら、後に逸見さんの手術はあってはならない手術だと判明したが、それでもアナウンサー魂を貫いたこの意志は見事なものである。