戻る

前ページ   次ページ

和書 561446 (4)



物語の哲学 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

著者の専門は科学哲学を中心に分析哲学や大陸系の現象学など広範囲である。哲学においても物語り行為は重要な役割を担う。かのカントの純理にしろ、フッセルのヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学にしろ、ハイデガーの名著存在と時間にしろ、著者が自ら訳し親炙したローティの哲学と自然の鏡にしろ、哲学書の論理的展開を支える強力な物語的構成力なくしては古典的な著作たりえない。たとえばアインシュタインの特殊相対性理論のシンプルな公式表現ですら、物語的ですらある。
 そこで著者第1章を「人間は物語る動物」である、と始める。本書は単著で刊行されたさいには柳田國男と歴史の発見という副題が付けられていたが、著者の意図は物語論一般にあり、現代文庫版では削除されている。つまり、原初的な口承文学を含めて歴史叙述との類似性などを精緻に分析、理論化することが目的である。したがって、所謂文学理論的な著作とは異なり、哲学的あるいはメタ理論的な概念を敷衍して議論を展開している。理論的な流れの中で注目に値するのは、リチャード・ローティが集大成した20世紀前半の哲学革命言語論的転回が、実は歴史学においても1990年代に波及したという指摘を踏まえて、前版を補正してなったのが本版だという。物語理論は、なにも文学が独占する領域ではない。哲学的視点による知の総合理論としての物語論と読むべき著作の誕生である。





歴史とは何か (岩波新書)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 E.H.カーの著作で、日本でとても有名な著作。自分も高校生の時に買って、何度も挑戦してはわかりにくくて放棄し、また読んでの繰り返しだった1冊。
 今改めて読み返してみると、歴史の持つ個人的効用、社会的効用がわかり始めたような気がする。「歴史は現在と過去の対話である」という言葉がここではとても印象的に使われているが、じゃあなぜそんな対話をする必要性があるのか。
 今の社会で広範に流布している風潮は「いまを生きよう」や、「二度とないこの瞬間を大事に生きていこう」といったものが有力に見えて、そこには歴史を学ぶ必要性・必然性は欠落しているし、歴史への意識はかえっていまを生きる上で邪魔な障害物でしかないように思わせる。じゃあなぜ、歴史を学ぶ必要があるのか。
 それは、いまを生きるときの「いま」は歴史的に構築されたもので、何らかの勢力が特定の意図の下で設計した結果として「いま」が「あるがまま」にあるという事実を、歴史は学ぶ者に教えてくれるからだ。この議論は本書の中に収録されている。そのことこそが歴史を学ぶべき最大の理由なのだと思う。毎日毎日、毎週毎週、毎年毎年「いまを生きる」ばかりでは、自分たちがいる位置について知ることは出来ないし、自分たちを取り囲んでいる諸々の制度の仕組みについても知ることが出来ない。「いまを生きる」精神を要求しているのは、例えば今の産業システムであり、それを前面に立って支えているマスメディア産業であり広告産業であり、そこでは物事のもつ歴史性を隠蔽し、また歴史自体を商品にすることによって人々を永遠に「いまを生きる」状態にとどめようとする傾向をもつ。そんな状態を食い止めるのが、現状の持つ問題性を明らかにする戦略としての歴史研究だ。

 そういう風に考えれば歴史研究は実はとても過激なインパクトを齎すことの出来る分野でもあり、普通に生きている人々にとっても「いまを生きる」際の基本的なリテラシーともなり得る。この著作は、そんな視点からの読解にも耐えうる、中身の濃い1冊です。




現代史を学ぶ (岩波新書 新赤版 (394))
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

筆者はソ連史を専門にし、特に農村社会の動きなどに着目している方である。
著書が書かれたのは1995年と、ソビエト崩壊による冷戦構造の崩壊に伴って、それまでのソ連史の語られ方が非難に満ち満ちている時期である。
筆者はE・H・カーに師事しており、基本的にカーの『歴史とは何か』をベースに歴史を学び、書くことはいかなるものかを述べている。
歴史とはあくまでも過去との対話であり、その対話の過程から帰納的に個別的なものから一般的なものへと導く作業である。
そして、「歴史の一般化は、一定範囲の経験的事実の観察(史料を媒介しての)からいかなる一般的命題をいうことを許されるか、ということ以上ではありません」(p194〜5)と筆者は言う。
筆者は、現代史を学ぶ難しさとして、時代が近いことによって精神的に距離を置いて見ることができないことをあげ、だからこそ自分の置かれている立場や時代が要請する解釈、党派性といったものから距離をおいて、「超党派」的に見ていく必要があるのではないかと言う。
だが、現代から時間的に遠い時代を扱う場合も、党派性といったものは強く作用されがちだと思われる。大河ドラマや、故郷の英雄など、例え事実として固定されていたりしている過去でも、現代の要請に応じて書き換えられるからだ。それは、戦前や戦後の現代においても変わらない。
結局のところ、歴史を学ぶということは現代史を学ぶということになる。それは、どの時代を扱うものであっても同じことだろう。




マルク・ブロックを読む (岩波セミナーブックス)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

故二宮宏之氏が描いたマルク・ブロックの人と業績。客観的な叙述の中にも、仏レジスタンス運動に斃れた偉大な歴史家への愛情が迸る。と同時に、歴史学の醍醐味も味わえる。正に現代の名著の一つだと思います。




史料学入門 (岩波テキストブックス)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史学入門 (岩波テキストブックスα)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

放送大学での講義をもとに、
歴史学を学ぶ学部学生用に書かれた本。
どこかで聞いたことがあるような話が並ぶが、
活字になって改めて読むと、響く記述が連なる。
まとまっていて、使いやすいので、
ぜひ手元においておきたいような本。




啓蒙とは何か―他四篇 (岩波文庫 (33-625-2))
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 この中にはカントの卓越した歴史哲学が収められている。創世記を土台として、歴史を描いて見せるというものである。アダムとエヴァの興味深い話がある。ヘーゲルにもあるが視点が違う。また「万物の終わり」というような題だと思うが、これもまた興味深い。このような小粋な論文が5編おさまっている。




ハリネズミと狐―『戦争と平和』の歴史哲学 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

この書物は一応トルストイの戦争観を中心に述べたものだが、ペダンティック歴史家が書いたものとして、いかにも堅苦しい。英国の歴史家は物事を素直に、語ることをしない。この書物はその典型例である。いろいろのことを語るが、結局何を主張したいのかわからなくなって終わってしまう。
 ハリネズミと狐を対比して、それぞれの作家を割り振るが、分かったようで分からない。翻訳ももとの文体が込み入っているので、訳者も適当に端折って訳している。それ相応の扱いと思われる。





歴史序説 (1) (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

翻訳物には、こなれていない日本語になっているのが少なくないですが、これは実にすばらしい日本語です。まずこのことを述べたいと思います。

それから、行き届いた注もありがたいです。たとえば、

「アラブ世界では九世紀以来、シリア語からのアラビア語訳聖書が流布しておりイブン=ハルドゥーンもおそらくそれに拠ったのであろう。」(363頁)

イブン=ハルドゥーンの思索は、堅実で冷静沈着、学ぶところが多いです。環境と文明の関わり、王権や貴族性と連帯意識の関わり、その他、読み応えがあります。




歴史序説 (2) (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

この第2巻は第1巻に比べて非常に読みづらい印象を受けた。第三章では当時のイスラム国家における官職・制度・歴史的由来などについて述べているのだが、これはイスラム史に対する造詣が相当に深くないと多くを理解するのは難しいと思われる。

しかしハルドゥーンの社会制度や王朝に関する洞察から伺える当時のイスラム社会は、非常に良く整備された秩序だっている文明社会であり、そこからは独裁者や強権のカリフの影は微塵も感じられない。おそらく彼ならばそのような暴虐な君主の影が見える王朝は「間もなく滅びる」と言い切るのではないだろうか。

都市論を展開する第四章は短いながら大変に興味深い。「都市で発展する文明が人間の性質を堕落させ、やがて外からの侵略によって都市は滅び去る。いかなる高貴な血統の人間もその堕落から逃れることはできない、何故ならば人間の性質は周りの環境に最もよく影響されるからである」とは著者の弁。


前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ