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和書 769110 (299)



この人の閾(いき)
販売元: 新潮社

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 高橋源一郎も言っていたけれど、保坂和志の小説のスタンスというのは、『日常に隠されたものを再発見する』というものだ。
 こういう小説を読めば、それが非常によくわかる。日常に隠れているものを発見するのだから、ドラマティックなものはひとっつもいらない。何気ない会話、情景から意味未満のものを発見し、それを読者に投げかけてくる。たゆたう思考のような文体がそれを手助けし、読んでいて非常に気持ちがいいし、気になる。
 




この人生に乾杯!
販売元: 阪急コミュニケーションズ

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この人生の並木路―随想集「プロムナード」〈1〉 (随想集プロムナード 1)
販売元: 恒文社21

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日本経済新聞に連載された三方の随筆をまとめたものである。
三人共、それぞれの専門分野のみならず、様々な分野で才能を発揮されている方であるから、広い視点で語られた一つ一つの文章には非常に含蓄がある。それでいて新聞に掲載されたものであるから簡潔で読みやすい。

阿久悠、戦後の人々の言葉遣いの変化、日本人が若く見られようと奔走する様に否定的意見、そして「歌」に対する愛。

浅井慎平 永遠にさわやかな人である。年を重ねても感性の鋭さが鈍らない、美しい少年時代(自然、人々の心)の話しから現代の様々な人々のふれあい、心にちょっとした隙間風が吹き心が空っぽになるようなものから、暖かい春の息吹を吹き込んでくれるような南風のような文章まで、本人を現すような文章だった。

久世光彦 昨年なくなった演出家の。教養のある文章である。様々な文化(演劇、書籍)に対する感想、そして川内康範について少し触れているがそれを読むと彼がなぜ森進一とトラブルになったのか分ってきた。

それぞれ、一つの世界せ真剣に生きてきたハンサムは男たち。こういった生き様は最高に格好いい!





この命、何をあくせく (講談社文庫)
販売元: 講談社

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この命、何をあくせく
販売元: 講談社

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この国のかたち (4)
販売元: 文芸春秋

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第四巻は92年から93年の2年間に書かれたもの。当時69歳から70歳である。

特筆すべきは、統帥権に関するまとまった論文と、
「日本人の二十世紀」と題した口述筆記である。
いずれも、昭和の戦争に対する司馬の見方を明確に示していて興味深い。

昭和の戦争は、

 ・ただ石油ほしさにアジア各国に進出した
 ・確かに戦った相手は植民地の宗主国だし、アジア諸国への領土的野心もなかった
 ・が、戦場となった国の民には甚大な被害を及ぼした侵略戦争であった
 ・植民地解放は目的ではなく結果であり、正当化する理由にも贖罪にもならない

と総括していて明快である。
司馬はついに昭和の戦争については小説を書かなかった。
その理由の一端がうかがえて興味深い論文である。




この国のかたち〈1(1986~1987)〉
販売元: 文藝春秋

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この国のかたち〈1〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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文藝春秋誌の巻頭に、1987年から96年2月になくなるまで、
およそ10年に渡り、120本を書き続けた随想録である。

ただし単なる随想ではなく、
司馬生涯のテーマである「日本とは何か、日本人とは何か」についての考察であり、
司馬自身が苦手といっているように、
私生活や私事について述べたものではないから、
これをエッセイというのにはためらいがある。
が、論文というには、色艶が美しすぎる。
これも小説と同列に扱うべき堂々たる司馬作品なのだ、としかいいようがない。

第一巻でとくに興味深かったのは、若衆に関する論述である。
オトナと若衆の二元的社会構造が、
現在にいたるまで日本の社会の基本をなしている、という。
司馬史観のひとつのポイントとして押さえておきたい観点であった。




この国のかたち〈2(1988~1989)〉
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。




この国のかたち〈2〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。


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