私はと言えば、宇宙にもいけないし、寝る前にあぐらをかいて瞑想まがいのことをすると眠くなったり、足が痛くなったりですぐにあきてしまった。この変がエリートさんと私の落差だろうなと思った。
そんなときに私のところに舞い込んだ本とメールマガジンにこんなことが書いてあった。瞑想とは座禅をしたり、目を閉じてするものとはかぎらない。日々の生活そのものが瞑想であり、自分自身に誇りを持って生活することが瞑想そのものである。と書いてあった。
また、メールマガジンには
「誇りを持って生きることが瞑想である。なぜなら懸命に生きた人の生命を我々が受け継いでいるのだから」とあった。そうか。大きな生命の流れから自分というものはここにいるのだ。海から陸に上がった生命はいとおしい生を懸命に生きて後へと命をつないでいるんだ。そうしてここに私はここにる唯一の存在である。自分を軽んじてはいけない。祖先や先祖が懸命に生きてきたからこそここにいるんだな。と気がついた。
また、瞑想とは自分自身が好きなことに没頭しているときが瞑想状態であり、時間を超えているともあった。なるほど、自分の好きなことをしているときが最もオーラが出ていると聞いたことがあるなとも感じた。
そんなときは「すとん」と魂がすべてを受け入れることができるのだろう。
自分が好きなことに夢中になっているとき、魂は輝き、時間も空間も越えて、「すとん」と感じることができるのだろう。
ボブマーリーの「ワンドロップ」は、「もう一度すとんとビートで落としてあげようか?」という歌詞ではじまる。最初はこれはなんだろう?と思っていたがきっとそういうことなのだろう。ボブマーリーは聖書にすべてがあり、それに従って生き抜き、レゲエのリズムを世界中に伝えた。レゲエのビートは心臓の鼓動のようであり、大地の鼓動のようでもある。この曲は「ナチュナルミスティック(自然の神秘)」というアルバムに入っていて、表題曲の方が有名であるが、私は「ワンドロップ」の方が断然に好きだ。この曲がはじまったとたんに別世界に魂はゆく。これはどんな嘆きの中にいるときもそう感じる。
何度も聞いていると魂の中から力が生まれてくる。
リフレインの歌詞がすばらしい。黙示録からの引用もあるが
「ジャーの神は決して我々を見捨てはしない。
毎日が戦いの連続だけれど我々に智慧を与え、悪の哲学なんかいらないことを教えてくれる」私の心は解き放たれ、大地の鼓動、心臓の鼓動、とボブマーリーの鼓動がひとつになっていくように感じる。そうして
「エブルシング ゴナ ビー オールライト!」
すべては必ずうまくいくからと魂から大きな落ち着きを与えてくれる。