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ミュージック 916648 (32)



SHERYL CROW live at 武道館
販売元: ユニバーサル インターナショナル

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演目は、DVDの「C'mon America 2003」と同様ですが、武道館では、観客とよくかみ合わなかったみたい。なので、CDを聴いてもいまいちノレない。DVDのほうはカメラがチラチラ切り替わって観てると疲れてくるけど、音だけ聴いてればこのCDより楽しめます。




Shrine '69
販売元: Rykodisc

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ピーター・グリーンがサウンドリーダーであった時期のホワイトブルースバンドだった時代のフリートウッドマックのアルバムです。今の編成になって、ビックヒットを飛ばした作品もお気に入りですが、この時期のアルバムも味があります。




Sinatra & Sextet: Live in Paris
販売元: Reprise

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Sinatra 80th: Live in Concert
販売元: Capitol

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Sinatra at the Sands
販売元: Warner Bros.

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録音したアルバムの数は優に三桁は越えるであろう、フランク・シナトラのパフォーマンスが遺憾なく発揮されたライヴ盤の傑作。考えうる限りで最も理想的なシチュエーションが見事にハマった、奇跡的な宝物のような1枚。
まず、舞台。音楽拝聴型のコンサートホールではなく、アルバムタイトルともなったカジノホテルの上層階、大宴会場的な空間でのリラックスした(というか少し猥雑な)雰囲気がたまらない。身内の集まりともいうべき親近感とプライベート感が横溢して、シナトラの第一声が「Welcome to my Room !」。次いで、伴奏。史上最強のジャンプ・バンドと目されるカウント・ベイシー楽団をバックに、編曲兼指揮がクインシー・ジョーンズときては、爆発力は超メガトン級(ニール・ヘフティのRoulette盤に近い印象)。そして、シナトラ自身の歌唱。Capitol時代の若々しい伸びやかさやバネに代わって、Riprise時代の観客を一瞬にして惹き付けてしまう貫禄溢れるステージングに圧倒されっ放し。元来、トミー・ドーシー楽団の専属歌手としてキャリアを積んだシナトラだけに、大編成を背にしてもビクともしないのが嬉しくて仕方ない。
収録された楽曲は、おなじみの十八番ばかり。I've Got You under my Skinの愚直さ、Fly Me to the Moonの包容力、My Kind of Townの乾いた愛情などなど、贔屓の曲ができるはず。
希代のエンターテイナーの贅沢かつ豪華、ダイナミックでスケールアップした世界、星10個の大推薦。ちなみに、アナログでは2枚組だったのがCDでは1枚になってお買い得度も大幅アップ。




Sinatra in Hollywood 1940-1964
販売元: Warner Bros.

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Sing Australia (In Concert)
販売元: BMG International

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The Skiffle Sessions: Live in Belfast 1998
販売元: Point Blank

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Solo
販売元: BGO

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Something Old, New, Borrowed, And Some Blues
販売元: Chicago

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 アーヴィン・エイゾフのジャイアント・レーベル移籍後“No Resemblance Whatsoever”[95年/ティム・ワイズバーグとの共演第2作]と、佳作を残すものの徐々にセールスはダウンし、音楽シーンの最前線からは退いてしまいました。が、新曲・未発表曲を含む4枚組ボックス・セット“Portrait”[97年]、自身のプロダクション:モーニング・スカイからリリースした『ファースト・クリスマス・モーニング』(原題:The First Christmas Morning)[99年/ホリデイ・アルバム]、ライヴ第2作“Live: Something Old, New, Borrowed & Some Blues”[2000年]と、時折思い出したように新曲・新作を届けてくれた。そして最後のアルバムとなってしまった“Full Circle”[2003年]発表後の2004年、前立腺癌が発見され、ツアーはじめ一切の音楽活動を停止。音楽業界からのコンタクトを完全に断っていた、と云います。

 ダンが闘病生活を送っていたことは、彼の公式サイトにあった彼自身のコメントを読んだ友人により、知らされました。しかしそこには「僕の癌が末期という噂は大げさだ。治療は一応成功している」「現時点では音楽活動の予定はないが、復帰の可能性は十分ある」と書かれていたこともあり、僕としては一安心していた。その後も情報は一切なく、「便りのないのは良い知らせ」と勝手に思い込んでいただけに、突然の訃報にショックを受けました。

 ダンの全盛期といえる80年代初頭、私はよく彼を「遅れて来たシンガー/ソングライター」と呼んだ。デビューこそ72年で、いわゆるシンガー/ソングライターが台頭した頃とほぼ同時期。だが初の全米トップ10アルバム『ツイン・サンズ』が78年と、一般的な認知度を高めたのはやや遅めで、その頃には前述のアーティスト達は既に地位を確立したり、ヒット・チャートの第一線から退きつつあったりと、シンガー/ソングライターの時代は終わりを告げていた。時代的にもディスコに替わってじっくりと落ち着いて聞かせる作風、いわゆるアダルト・コンテンポラリー(以下AC)、アダルト・オリエンテッド・ロック(以下AOR)がチャートの主流を占めるようになっていた。そんな時期に、繊細で抒情的なバラード「ロンガー」が大ヒット。永遠の愛を歌ったこの曲はウェディング・ソングとして現在も歌い継がれ(映画でもよく採り上げられる)、近年ではエア・サプライやベイビーフェイスにカヴァーされた。日本でもそこそこヒットし、後年もCMや、皇室のご婚礼番組にまでも起用された。全米ではその後もバラード・ヒットが続いたことで、ダンはAC/AORアーティストと見なされ、シンガー/ソングライターやウエストコースト系のファンからは軽視されてしまう。他方、一般的なAORアーティストと異なり、ダンはヴォーカル・楽器からプロデュース(『囚われの天使』以降)までほとんど一人でこなしてしまう(ウエストコーストの有名どころが必ず参加してはいたが)。また華やかな芸能界のスポットライトを避けてコロラドの山奥に住み、長髪にヒゲ(当時)といった風貌も手伝い、イメージ的にも「オシャレ」とは程遠い。こうしたことから、日本のAORファンからも敬遠された。さらに米国でカントリー系の低迷した80年代半ばにブルーグラス・アルバムを発表する等、タイミングの悪さも重なり、本国でもメインストリームから退く結果となってしまいました。今さらどうにもならないことだが、もしシンガー/ソングライター全盛期の70年代前半に大ヒット曲が生まれていたら、もしエイゾフがアサイラム・レコードとの契約に成功していたら(実際、契約まであと一歩だったらしい)、ダンに対する現在の評価はもっと高かったと思われるだけに、残念です。しかし、彼の音楽は90年代に登場したアーティストたちに明らかに影響を与えており、中でもガース・ブルックスやビリー・ディーンはそれをはっきりと認めています。
 日本でも2007年8月に72〜81年の計6作が紙ジャケット/リマスターで発売され、ようやく再評価の機運が盛り上がりつつあっただけに、その早すぎる死が惜しまれてなりません。今はただ、彼の冥福を祈り、そして素晴らしい音楽を残してくれたことに感謝するだけです。最後に、彼の仲間たちから寄せられたコメントを弔辞とし、そして彼の公式サイトに掲載された謝辞でこの追悼文を締めさせていただきます。

 「ダンは美しい、天使のような声の持ち主だった。みんな気づいていないか、覚えていないかだろうけど、彼はものすごい高音のハーモニーを出せたんだ。(ブラウンの74年のアルバム『レイト・フォー・ザ・スカイ』で彼は)ドン・ヘンリーやJ.D.サウザーよりも高音で歌った。僕のフェイヴァリット・ソング(「懐かしき恋人の歌」)は、年末にスーパーマーケットで昔の恋人に再会する内容だった。認めたくないが、僕はその曲を聴いて泣いた。過ぎ去った時と、昔の希望や夢をもう一度思い出させる歌だ。彼は本当にエモーショナルなソングライターで、素晴らしいシンガーだった」(ジャクソン・ブラウン)

 「大勢の音楽業界の重鎮たちが僕に電話して来て、ダンがいかに彼らにインスピレイションを与えたかを話してくれた。ガース・ブルックスもその一人だ。彼は本当にインパクトのあるアーティストだった」(アーヴィン・エイゾフ)

 「ダンはいつも心の奥底から湧き出す曲を書いた。それは聞く人の心を捉えて離さない。彼は僕らを羨ましがらせた、何故って僕らが『書きたい』と思うような曲を書くからだ」(ジョー・ウォルシュ)

[公式サイトより]
 「ダンは12月16日の午前6時、この世を去りました。癌と勇敢に戦い、最期は妻のジーンに看取られて、メイン州の自宅で静かに息を引き取りました。病気に立ち向かっていく彼の力、気品、優美さは、彼を知る人全員を勇気づけてくれました」

 「親愛なる友へ。“The Living Legacy”のウェブサイトを通じて、ダンにたくさんのメッセージを寄せていただいたことに感謝します。彼の音楽がいかに皆さんの心に触れたか、彼への励ましの言葉、賞賛と友情の言葉。本当にありがとうございました。
 ダンは強く、プライヴェートな人でしたが、たとえ山が揺れ動くような、最もつらい時でも、皆さんのメッセージを読み、彼の音楽が皆さんの人生に光を灯していることを知り、心の慰めとしていました。
でも最も大きなものは、彼の人生が目的に適ったものだった、と皆さんのメッセージを通じて彼に知らせていただいたことです。
 皆さんが彼の音楽を聴いて感じた喜びや楽しさが、皆さんの言葉や祈りとなって彼のもとに戻って来た。そのことを知った皆さんが心の平穏を感じてくださいますように。
感謝をこめて」(ジーン・フォーゲルバーグ)

 合唱、じゃなくて!合掌…。



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