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DVD/ビデオ 575090 (244)



Dear フランキー
販売元: ハピネット・ピクチャーズ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

上映時間100分程度の非常にまとまった印象を受ける映画。
だらだらしていなく、普通に感動できるよい作品です。
「とにかく観客を泣かせてやろう」というような見え透いて過剰すぎる演出もなく、静かで心温まる内容。

(仮の)親子役を演じている二人の演技が素晴らしく、
特に父親役のジェラルド・バトラーの微妙な心情を表す巧みな演技無しに
この作品はこれほど心に残る作品にはならなかったでしょう。

優しい雰囲気の映画が好きな方は是非ご覧を。




Dearフランキー
販売元: ハピネット

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

また『イギリス映画』か!!
エンディングの『その後』を優しく想える、素晴らしい映画やわ。

俺の映画評価の絶対条件『やりすぎてない』に全面合格!!

ストーリーも役者も音楽も、全てがやり過ぎない・・・。

セリフでは無く、文字では無く、表情で雰囲気で『語らす』演出。
もの凄く感動した。
もの凄く幸せ者気分。

『グッバイ・レーニン』『やさしい嘘』なんかにも似た感じの母親として、父親として、子供として、男として、女として、友達として、ヒトとして、優しい気持ちがいっぱい詰まった素晴らしい映画やわ。

強く強くおすすめる。






シークレット・サンタ
販売元: PSG

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






DEAR WENDY ディア・ウエンディ
販売元: メディアファクトリー

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 炭鉱の町というと煤けた暗いイメージが付きまとうものだが,本作品は実にカラリと若々しい光で撮ってある。
 若者は,とかく何かを信じる中で己に自信を得,生き方を模索するものだ。劇中の彼らは,信仰の対象を銃に決めたことから,悲劇とも喜劇ともとれる結末へ導かれる。ラストの銃撃戦は,彼らの信仰を試す試験のようなものとして描かれ,悲壮感の欠片もない。そうなることが自明であったかのように。
 サンダンス映画祭で上映とパッケージにあったが,「明日に向かって撃て」のラストが同じようにカラリとしていたことを思い出した。
 ジェイミー・ベル,劇場で「リトル・ダンサー」を観て以来だった。成長した彼は繊細で聡明そう。




DEAR WENDY ディア・ウェンディ (レンタル専用版)
販売元: Blowout Japan

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






ベニスに死す
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

この映画は恋の美しさを映した詩情豊かな名作中年男と美男子との恋物語 でも最後まで話た
りしない見つめ合ってるだけ そこが良い愛の尊さ男は恋を知り己の無力さ、未熟さを思い知る
実は僕も同じ経験をしたことがあるんですもの凄く好きな娘がいたけど結局話もしないまま
終わってしまった だからこの映画は僕にとって苦くも美しい想い出を蘇らせてくれる映画でもあります。
ラストの海のシーンの美しさ 息絶える男彼はベニスに死んだんじゃない恋に死んだんだ




ベニスに死す
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 ベニスという土地柄、ここを舞台としている映画はいくつかある。
ジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」デビッド・リーンの「旅情」、ジェームズ・アイボリーの「眺めのいい部屋」等々、名作も多い。
「ベニスに死す」はそうした中でも別格の作品だ。
原作は「魔の山」の文豪、トーマス・マン、監督はルキノ・ビスコンティ。
主人公アッシェンバッハのモデルとなったのは作曲家グスタフ・マーラーで、テーマ音楽にも彼の交響曲第5番、第四楽章が使われている。作品世界の重厚さは紛れもなくビスコンティ・ワールド、彼にしか創り得ない映画だ。
 主役にダーク・ボガード、シルバーナ・マンガーノを脇に配し、ビョルン・アンドルセンが美少年タジオ役で衝撃のデビューを飾った。(アンドルセンは後に死亡、映画出演は本作のみ)
 老い、迫る死への恐れ、若さへの渇望、そして、、、。グスタフの姿はどこかでビスコンティに重なる。
タジオ少年に同伴する母親に取り入ろうとコアフュールで若造りをする姿は、彼がさげすんでいた道化者のよう、それが死化粧となってしまう皮肉、熱と汗で溶出したマスカラが顔面を這い、退廃の極みのような死にざまはいかにも凄絶でビスコンティ好みだ。

 ビスコンティ作品は、私にとって好きとか嫌いとか言うレベルを超えている。
その完成度の高さは今更言うに及ばない。そんな彼の作品群の中でも屈指の名作、いずまいを正して、じっくりと対峙、鑑賞したい。




ベニスに死す
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティは文豪トーマス・マンに深く心酔していて、マンの代表作『魔の山』や『ブッテンブローク家の人びと』を映画化しようとしたがさまざまな理由から実現できず、結局映画にできたのはマンの傑作中篇、この『ベニスに死す』だけだった。

原作では主人公のアッシェンバッハが作家になっているのに対して、この映画では、作曲家、つまりマンが当初意図したグスタフ・マーラーであるとすぐに見て取れる。

初老の芸術家が美少年に心惑い結局死に至る、というある意味では通俗に落ちかねない題材を、マンは彼一流の手腕で芸術家とエロスの葛藤の完璧な寓話に仕上げた。このヴィスコンティの映画は、マンの意図に忠実に、執拗とも思える完璧主義で原作の再現に努めている。

美少年を演じるアンドレセンの美しさ、今は失われたヨーロッパ上流人士の生活、豪奢と退廃が背中合わせになった沈みゆくベニス。ゲルマン流のストイシズムで生涯を律してきた芸術家が、しだいに南国の放縦さに侵食されていくさまは、見ていて切なくもあり、怖くもある。

未来において、このような映画は二度とつくられないだろうし、たとえつくられたとしても下品なイミテーションにしかなりえないだろう。脈々と続く貴族の血を受け継いだ(そして自分が失われたヨーロッパの一部であることを痛いほど自覚していた)ヴィスコンティにのみ可能だった、必見の名作である。




ベニスに死す
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

この作品を最初に見つけたのは、学校の図書室でした!その後ビデオとDVDも入手。グスタフ氏が、ホテルのロビーで新聞片手にそわそわと。すると、その目線は御夫人でなく、タジューくん。彼はセリフがなくとも、神秘美のオーラを放っている。監督のルキノ氏もオーディションの末ビョルンに会ったとたん、即決したという。特に、好きな場面は夜のテラスに音楽隊が来る。タジューくんは、カチッとした服で立ち姿もさまになっている。そして、教会で祈りを捧げる場面。その彼の存在にすっかり夢中なグスタフ氏。しかし後半、疫病が流行り街中に消毒液が撒かれる。タジュー一家との別れに苦悩する。そして、タジューくん一家が帰る日。海辺の彼を見ながら力尽きるグスタフ氏。タジュー役のビョルン・アンドルセンが出演し世にでた映画はこれ一本だ。当時まだ十代の彼は、別の道を選択した。最近、数十年振りのビョルン氏の姿を写真でみた。正直言って、タジューの面影はなく、普通のおじさま化していた。まさに、天は二物を与えず。美少年は、スクリーンの中でしかお目にかかれないのだ。




ベニスに死す
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

あまりにも意味のわからないレビューのタイトルで始まってしまいましたが、正直なところこのようにしか本編を形容することができません。

才能ある中年男の禁断の恋。共感する者以外には全く無意味な題材。しかしヴィスコンティ監督の手にかかると、こうした多くの人々にとっては意味の無いエッセンスも価値のある逸品に仕上がってしまうのです。名優ダーク・ボガードの抑えた演技から半端ではない欲望がはみ出していく様子は圧巻。どのようにしてヴィスコンティはこのような演技を引き出すことができるのかいい意味で理解に苦しみます。

アシェンバッハの陰鬱な表情とバックに流れる、この主人公のモデルとなったグスタフ・マーラーによる交響楽との流麗かつ陰惨な一体化。それは放っておくと何時間でも浸っていたくなるデカダンスを伴った快楽。この時点で私ははっとさせられました。このフィルムを見入ることによって、次第に自分もダーク・ボガード扮する男の気持ちに溶け込み同調しているのではないかと。一瞬「そんなことはあり得ない」と当惑する自分。それでもこのフィルムに見入ることは止められません。それどころかさらにフィルム自体の深みに入り込んでしまっている・・・。ベニスの町は中世さながらの退廃的な祭りで沸き立っている。その退廃した空気はホテルにも、街にも、運河にも充満しきっている。加えて、そこに忍び寄る疫病の恐怖。ベニスという街の持つ、中世を引きずるゴシック的不気味さをこれだけ引き出したフィルムがかつてあったでしょうか。ダーク・ボガード扮するアシェンバッハでなくても、こんなところに逗留していたら狂気に陥るのかもしれません。

そしてビョルン・アンデルセン扮する妖艶なタジオです。ギリシャ彫刻然とした完璧ともいえるフォルムを有する少年。すくなくともアシェンバッハにそう思わせた若人。哀れな主人公の自分への恋心を知ってか知らずか少年もまた初老の音楽家を意識します。しかし、どのように意識しているのか。その曖昧な冷たい微笑みは観る者をあざけり、迷わせ、突き放すのです。その存在がベニスの不気味さとあいまって物語は至高の退廃美をじわじわと完成させていくのです。

見終わったあと本編に当初感じた無意味さは、人間が持つ美への願望あるいは欲望といったある意味で大いに検証するに値する心情ととって替わられてしまいました。無意味さが純粋なる価値へと昇華していく。本編で体感したヴィスコンティの魔術とはそんな魔術なのです。


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