働き者で、優しくて、賢くて、勉強熱心で、しかもかわいくて、どこから見ても本当にいい子で、カトリが幸せになれるように毎週応援していました。それだけに、最後にお母さんに会えたときは、一緒に泣きました。DVDで久々にみたときも、当然泣きました。
これは、ぜひお勧めです。
また、音楽に使われている「フィンランディア」もとても効果的に使われていてで、舞台のフィンランドのイメージをよく表しています。
努力すれば対外の望みはかなう現代社会において、一昔前の生まれてきた身分が人生の一生を決めてしまう社会的現実を良く捕らえていて、そんな中で辛い環境でも自分の生活の中に喜びを見出して自分の生きる道を見出し努力しているカトリの姿は、現在の学ぶことを強制されている学生に自分がいかに恵まれている環境に居るのか再認識できるアニメになっていると思う。
そんな深読みをしなくても殆ど1話完結型で困難に陥ってもすぐに解決してわらしべ長者的によい方向へと話が進展するので安心してみていられる所も魅力。多方面で楽しめる作品。
なんだか一生懸命に働くカトリに見入ってしまいます。作品中でカトリが働く様はオープニング映像そのままです。
牛番として朝から夜まで働き、手伝いをして、さらにその後聖書や叙事詩などの本を読んで勉強します。
実際に大学の実習で牧場で牛などに触れ、牛30頭の番をする大変さを知りました。牛って結構凄まじいんですが…。
がんばって、がんばって、ただそんな描写に釘付けになってしまいます。
この巻ではライッコラ屋敷に雇われ、隣の屋敷で働くペッカと話をしたり、子供を亡くして変わってしまった奥様に
ほんの少しずつ愛情を呼び起こさせたりしていきます。
一人ひとりのキャラクターが丁寧に描かれていて、ペッカやアンネリさんなど、とってもいい味を出しています。
なんだか地味なんですがおもしろいです。人物描写が落ち着いていて、丁寧で、とても親しみを感じます。
ああ、ペッカみたいな友達いたなぁ、とか、アンネリさんみたいな人いそうだなぁ、とか。
そんな共感がもてるのがルーシー、アンネット、カトリと続く三作品だと思います。
第九話でカトリが具合が悪くなって見る変な夢、悲しい夢などの描写もなんだかリアリティがあります。
また、シベリウスの音楽が流れるフィンランドの情景もきれいです。
また、蛇足かもしれませんが、つくづく日本語の変化に気づかされます。もちろん今のような耳当たりの悪い
略語の氾濫や言葉の乱れなど全く無く、また、驚いたことに発音の仕方も違います。
「ライッコラ屋敷」と発音する時と「ライッコラ」と発音する時、今は高低を変えて発音をしますが、この作品中では
同じ発声をしています。昔ってこうだったのでしょうか?
笑ってしまいます。寝過ごした!ジャーン!って。この作品らしくて大好きです…。寝坊でこんなに盛り上げるとは…。
牧歌的すぎる…。
この巻ではペッカとマルティ、ついでにペッカの親戚のヘレナがカトリをめぐって変な四角関係(?)を展開します。
別に『あしながおじさん』『家なき子レミ』のような恋愛関係などと大げさにも言えないほのぼのしたものですが。
単純に怒ったり、かと思うとお互いにほめ合ったり、変な友情ぶりもほのぼのです。
カトリが風邪で寝ている横から聞こえるバターを作っている音、なんだか好きです。
また、第十三話では独立を目指す青年アッキが登場します。『ルーシー』のジョンと同じ声優さんみたいですが、
かなり格好良く描かれています。叙事詩『カレヴァラ』を紹介され、読みふけり始めるカトリを見ると
とっても励まされます。あぁ、こんなところでレビュー書いている場合じゃなく勉強しなきゃ、とか。
音楽のよさ、温かい人間関係、この巻もほのぼのしていていいなぁ、と。
全12巻の中でいちばん好きかもしれません。
蛇足ですが、二字熟語で各話のタイトルをつける、という変なこだわりは13話で頓挫、2度と復活しません。
付録のスタッフインタビューでは斎藤監督が脚本の宮崎さんの「怖さ」を語っていますが、結構すごいです。