2005/8/6 更新   

海外旅行 旅行記 カッパドキア (トルコ) + 日食

1999年8月

 羽田から関空乗継でイスタンブールに着き、そこで一泊してから、次の日、まず、飛行機でカイセリに行った。 カイセリの空港でバスを待ったが、ガイドブックにはバスがあるように書いてあるのにいくら待っても来ない。 空港の職員に何を待っているのか聞かれたのでバスを待っていると答えると、ここにはバスはないと言われた。 私がガイドブックに載っていると言ってその箇所を見せると、それを見た職員はしきりに首をひねっていた。 しばらくすると、その職員が再び来てバスに乗せてあげると言われたので付いて行くと、トルコ航空の職員用のマイクロバスがあった。 トルコ航空の従業員達と一緒に市街地のトルコ航空の事務所の前まで運んでもらった。 いくらか払うと言うと要らないと言われた。これはありがたい。 その後、歩いてバス・ターミナルに行った。ここからバスで1時間か2時間くらいのところにカッパドキアがあるが、 シヴァスで皆既日食の起きる日が近づいているので、先に、バスでシヴァスに向かった。

 バスが数時間ほど走ると、シヴァスのバス・ターミナルに着いた。 そこから市街地まで歩いて適当なホテルに入り、部屋も料金も特に問題なかったので手続きをして、散歩に出かけた。 歩いていると、片手で持てるくらいのガラスの板に、墨を付けたものが、安い値段で売られていた。 日食での太陽の欠け具合いを見るためのものだ。 墨では、専用のものと違って、目に見えない波長の光線をあまり遮れないため目に良くないのだが、ないよりはずっといいので1つ買った。

 次の日は、特に予定がなかったので、シヴァスの町を探検(?)した。特に面白いものがなかったので、夕方には、少し遠いが鉄道の駅に行って様子を見た。 寝台車が停まっていたが、日本のと比べてまあまあかなあと思った。しばらく眺めていたが、あまり見所もないので、来た道を戻ってホテルに帰った。

 次の日は、ホテルをチェックアウトした。皆既日食を見てからカッパドキアに向かう予定だ。 皆既日食を見るのに丁度いい場所を捜したが、適当な場所が見つからなかったので、バス・ターミナルに行った。 バス・ターミナルも駐車スペースには立って見れそうな場所があるし、カイセリまでのバスの席がなくならないか心配で先に予約しておきたかったからだ。 皆既日食は、曇られるとすべてがおじゃんになってしまうが、その日は幸運にも快晴だった。 太陽が半分くらい欠けると、日差しが幾分弱くなった。暗くなったというほどではない。 太陽が細長くなると、空は、丁度、日没直後のようなセロリアン・ブルーになった。しかしまだ太陽はまぶしくて直視できない。 皆既10秒前くらいまではそれほど暗くなかったが、皆既10秒前から空も地上もスーッと暗くなって行き、それと同時に太陽が直視できるようになった。 空の裂け目が閉じて行くような感じで光源がしぼんで行き、真っ黒な円盤が現れた ( 皆既日食が見た目ではどう見えるかを再現したソフト(ただし早回し) )。

 カイセリまでバスで移動し、カイセリのバスターミナルで、カッパドキアの最寄りの町ウルギュップを通るバスに乗り換えた。 バスがウルギュップに着いたのは夜だった。予約してあるホテル「デデマン」がどっちの方角にあるかさっぱりわからない。 200mくらい離れたところにタクシーが居たので、そこに行って運転手にホテル名と住所を書いた紙を見せると、わかるとのこと。料金も特に問題なかった。 ところが、その運転手はギョレメ(ギョレメ村のこと)の方がいいとしつこく言って来て、ホテルを変えさせようとした。 「デデマン」の宿泊費はすでに支払ってあることを伝え、とにかく行けと言うと、運転手は車を発車させた。 走っているうちに「デデマン」らしきものが見えて来たが、運転手はギョレメに行っていいなと言ったので、私は今すぐ停まれと言い、 車が路肩に停まると、もう一度、紙を見せて、おおよその料金を言わせると、何とか「デデマン」に行ってくれた。 ホテルのカウンタで係員にバウチャーを渡すと、鍵の...として...と言われ、はっきり聞き取れなかったが、すぐ「気にしなくていい」と言われたので、 ボーイと一緒にそのまま部屋に行った。後で考えると、どうも、鍵の保障の預かり金としてと言われたように思う。

 次の日は、カッパドキアの奇観を見に、まず、タクシーでウルギュップのバス停に行き、そこからバスでギョレメ村に向かった。 途中、右の方に、たっくさんの岩がニョキニョキ生えている広大な土地が見え、しばらくすると、ギョレメ村に着いた。

写真で見たのと全く同じ光景だ(左写真)。

岩の側面に洞窟があるが、その中に住んでいる人もいるらしい。それらの洞窟のいくつかはホテルになっていて、そこに泊まることもできる。 あまりにも不便そうなので、そこにはせず「デデマン」にしておいたのだが、そこにしておいた方が面白かったかもしれない。


 ここギョレメ村からカッパドキアの観光ポイントまで少し距離があるが、歩けない距離でもないので歩いて行った。 観光ポイントに着くと、いろいろ見てまわった。それなりに楽しめたが、そろそろ飽きて来たので、来た道を歩いて戻り、 ギョレメ村で食事をしてバスでウルギュップのバス停に戻り、そこからホテルまでは歩いて帰った。 帰る途中、ペットボトル入りの水を買うために小さな販売店に寄り、すこし値切ってみた。 相手も手ごわくて、結局、値切るのは諦め表示価格のままで買ったが、そのとき相手は「日本人は商売に辛いね」みたいなことを言っていた。

 次の日は、カイマルクの地下都市を見るために、まず、タクシーでウルギュップのバス停に行き、そこからバスでカイマルクに向かった。 カイマルクに着いて地下都市に入ってみると、想像していたのと少し違っていた。 私は、「都市」という響きから、何十軒もの家がすっぽり入る大きな空間があって、その中に多くの家が建っている、と勝手に思い込んでいたのだが、 実際には、10〜20人くらい入れる空間が複数あって、2人ほど通れる通路でそれらが結ばれている形態のところだった。 その空間には、当然、家は建っていない。その空間自体が台所や住居等の部屋なのだ。 しかし、10〜20人くらいとはいえ、それほどの人数が入れる空間を作るのは大変だったろうと思った。 地下都市もそろそろ見飽きて、帰るためにバス停に行って待っていると、丁度、バス停のところにある家の前で、老人の男性2人が日向ぼっこをしていた。 私を呼ぶので、私は何だろうと思って近くに行くと、自分達の飲んでいる紅茶と同じものを私にくれた。 身体も自由に動かない感じほど年老いていて、何かをたくらんでいるとは思えないので、いただいた。 彼らはトルコ語以外は一切話せないようで、 私がいくらか払おうとすると彼らは「イーチ」「イーチ」と言っていたが、仕草から見て無料だと言っているようだ。 彼らはその後、のんびりと会話していた。その姿を見て、私は、老後はこういう生き方もいいなあと思った。 バスが来たので、その日はそのままホテルに帰った。

 次の日は、アンカラまで移動するために、チェックアウトしにカウンタに行くと、 そこにいた女性の係員から異常に高い金額(25,000円くらい)を請求された。 聞き間違えかと思い、金額(コンマで区切り付)を紙に書いてもらったが同じだった。 ホテル内で利用したのは、付いている食事での紅茶の追加とクリーニングだけなので、そんな金額なるわけがない。 ひょっとして宿泊費が支払済なのに伝わっていないのかなあと思い(そうだとしても高過ぎるが...)、明細書を見せてくれというと、 口頭で列挙された。列挙された内容からいっても、そんな金額になるわけがない。明細書の紙はないのか尋ねると、 他のお客の対応をしていた男性の係員がその対応を終えてやってに来て、 「これは違う」と言い、紙に書いてある金額を横線で消して、1桁小さい金額を書いた。 1桁間違えて請求されていたのだ。いくらトルコの通貨で書くと桁数が多いからといって、桁は絶対に間違えないでほしいと思った。 2,500円なら、まあそんなもんだろうと思った。 その後、タクシーでウルギュップのバスターミナルに行き、長距離バスでアンカラに向かった。 このあとは、アンカラで1泊し、飛行機でイスタンブールまで移動してそこで1泊し、そこから日本に戻った。
ギョメレ Goreme
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