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和書 1093102 (260)



精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200))
販売元: 平凡社

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上巻では、序論、緒論、A−意識、B−自己意識、C−理性が収録されています。
意識が「絶望の道」を経ながら、つまり否定に直面しながら、
真の知へと展開していく様子が事細かに叙述されています。

訳文は良い出来だと思います。しかし、ヘーゲル独特の言葉や言い回しに
初めて触れる方は戸惑うかもしれません。
そう簡単にすらすらと読み進めることは困難ですので、
それなりの覚悟と忍耐が要求されると思います。




精神現象学〈下〉 (平凡社ライブラリー)
販売元: 平凡社

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下巻ではD−精神の中に「第六章 精神」、「第七章 宗教」、
「第八章 絶対知」の三つの章が置かれています。
上巻では個人の意識が真の知に至る一連の過程が述べられました。
それに対し下巻では個人(もしくは個人の意識)と
共同体(国家や民族など)の関係に重点が置かれていると思います。
例えば、自立的な個人は共同体から飛び出しかねないので、
共同体(政府)はその個人に戦争を課して死を感じさせる必要がある、
とヘーゲルは述べています(33頁)。
また、下巻では美学や宗教の話も絡まっており、
難易度は高くなっていると思います。




精神現象学
販売元: 未知谷

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 牧野の解説は初心者への説教の形をとる。「終わりが始まりであるような」事例を探せ、という。それは目的意識的活動のことだ、と答える。私なら時計を例としてあげるだろう。
 この人は、目的論を観念論ではなく、あくまでも唯物論で捉えようとしている。ヘーゲルは真の哲学はみな観念論だと主張しているにもかかわらず。これは永久革命を主張するマルクスにも言えることである。そうだとしたら、革命が成就するまでの人たちは単なる手段だということになる。終わりのない思想は個人を単なる手段にしてしまう。唯物論たる所以である。
 牧野はいう。「自然はなぜ人間を生んだのか、それは偶然なのか、それとも、自然の発展的自己運動の必然的結果なのか。」〔偶然も必然も機械論である。これに対立するのが自由である〕後者をとることが「真の弁証法的唯物論」への道に通じるという。
 また、「陳腐なお説教に堕落することになる」に註をふして、「マルクスがヘーゲルの『精神現象学』での疎外とその克服の抽象性を批判するのはこの点であろう」、という。「ヘーゲルではそれは全て思考の中での出来事であり、疎外の克服は確実な事なのである」、と。疎外の克服は確実、と主張することによって、一方に極に固執して、思弁を排する形になっている。他方で、シェリンクとの比較の上でそういえるのであって、「自己疎外の厳しさが考慮されていない」ともいう。ルカッチでさえ、自己疎外が現象学の主題だといっているのに。
 訳をとりあげる。Form とWesenないしAn-sichの対立に「現象形式」と「本質」を当てる。これでは「論理学」の思想になる。形式といえば、内容あるいは実在という訳語が適切であろう。
 しかし圧巻なのは、どこが本文なのかわからぬほどの補足がある。〔原典の頁数がないのは不便〕著者の語学的関心が私の関心を引き寄せる。そのためにのみ、この書を利用し始めた。






精神現象学
販売元: 作品社

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人間の精神活動(現象)について、心理学、社会学、医学、物理学、生物学とその周辺諸科学から多くの知見を得ている現代人にとって、本書は過去の遺物としか言いようがないのではないか。本書から精神について新しい知見を得ることはない。本書の今日的価値は、人類の思索の歴史の一端を知るのに役立つこと、めんどうな文章を読み通す自己満足や忍耐力を得られること位ではないか。正直、そのように思う。なお、他の多くのレビューは翻訳の出来について述べているが、概ね同感である。先ず読み通すなら長谷川訳が、掘り下げたい人は、次に金子訳へ進むのが良いのではないか。通勤電車で1ヶ月をかけ読んだ。もし余命が短ければこれを読むのはシンドイし無意味と思う。




精神哲学―哲学の集大成・要綱〈第3部〉 (哲学の集大成・要綱 (第3部))
販売元: 作品社

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長谷川宏氏によるヘーゲルの翻訳の最後、とのこと。市井に居ながら、というより、であればこそ出来た名訳の偉業の数々だったとおもう。本書は氏の得意とする精神の章の翻訳だけにエンチクロペディの中で最も良い翻訳になっていると思う。氏の指摘するとおり、主観精神に関する詳述が本書の眼目で、客観精神以降は「法哲学」など他の著作または講義録でより詳しく論じられている。「人間学」で論じられる「眠り」「狂人」など魂の諸形態への言及は興味深い。長谷川氏のヘーゲル翻訳について言うと、やはり書物としての趣旨が鳥瞰できる翻訳であり、つまり、流れや筋道が、「普通の読書」で理解できることが素晴らしい。これはヘーゲルのように難解とされる哲学書には画期的なことだったと思う。そのための工夫と努力は相当なものだと思った。試しに原書を開いて、任意の1〜2ページを翻訳してから、当該箇所の長谷川氏の翻訳を読んでみると良い。「こなれた翻訳」という以上に日本語の文型として工夫があることを痛感できる。時に「読んでいて論理の筋が分かりにくくなる」という評を耳にするが、これは氏の翻訳に限らず生じる問題だと思う。概して翻訳は原文より長くなるが、時にその逆に圧縮した表現が可能になる場合があり、そのとき妙に通りの良い反面、後に残らない憾みが出る。ただ個人的には、氏の翻訳では「論理学」において特にその傾向が強く出ていると感じた。「概念」に関して硬い「漢語」を避ける分、シンボリックで多面的な意味の表象がしにくくなり、その都度の文脈に応じた意味の通りに終始しているせいだと思う。「漢語」による術語を、一概に排して良いわけではないという事例だと思う。とにかく、氏の革命的な翻訳があって、分かりやすく更に精緻な翻訳というステップが見えて来たと思える。だがいずれにしても、限度があるわけで、ドイツ人の書いた本だから原書を読まなくてはいけないと思う。




精神の現象学 下
販売元: 岩波書店

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この本のために世界でどのぐらいの労力が払われたであろうか。これを思うと気がとおくなる。この書のために一生を無駄にしたものもいるだろう。また、どれほどの金額がこの本のために投資されたであろうか。おそらく相当な金額になるだろう。人を狂わせた本とはまさにこの本のことである。




精神の現象学序論―学問的認識について
販売元: 未知谷

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 最も新しい訳を出した牧野によると、注のない現象学の翻訳は過去のものだという。その点で翻訳に値するのは、この翻訳(ただし「序言」と「序論」のみの訳)と金子訳だけとなる、と。また、この書は「日本のヘーゲル研究の特徴を見るのに好都合」だといい、この書につけれらた「総論」は「日本の多くのヘーゲル研究家の共有する問題意識だ」と語りながら、これを「どれだけ具体化して考え進めたのか」、さらに、具体化するにあたって、「ヘーゲルを参考にして考えたのか、これが決定的だった」と疑問らしきものを述べている。
 このようにしてこの訳書はヘーゲルについて多くのことを語り、実際に注ではカタカナ人名で埋め尽くされ、訳そのものはその存在が危ぶまれる体裁になっている。
 翻訳そのものに関しては、かなり独自のものになっている。ときには、他の訳とまったく異なった訳文が見受けられる。その一つをあげる。序論の第二十段落(原書の頁数の代わりに、段落をあげている)で、「すべての動物」ときて、その後で、「一個の文章への移行」とある。ここは主語と述語のことを言っているのであるから、「命題」がよいであろう。ここは牧野の訳は丁寧に訳してある。このようにみると、現象学の訳というのは、解釈の違いであって、注釈とは切り離して考えるべきであろう。おかしいと思ったら読み手が直せばよい問題に帰着するだろう。翻訳というものは部分にこだわらずに全体を通して何度も読めばおのずと理解されるものである。少なくとも何を言おうとしているのかは分かるはずである。それよりも理解しにくいのは解説書の方である。なんとつまらぬ多くの書物が書かれていることか。






精神科診断面接マニュアルSCID―使用の手引き・テスト用紙
販売元: 日本評論社

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精神科薬物療法ハンドブック
販売元: メディカルサイエンスインターナショナル

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成人のアタッチメント―理論・研究・臨床
販売元: 北大路書房

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