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和書 467260 (82)



中国四大奇書の世界―『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』を語る (懐徳堂ライブラリー)
販売元: 和泉書院

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解読額田王―この悲壮なる女性
販売元: 彩流社

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天武と持統―歌が明かす壬申の乱 (解読シリーズ)
販売元: 文藝春秋

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加賀の文学創造―戦国軍記・実録考
販売元: 勉誠出版

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柿本人麻呂論考
販売元: おうふう

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柿本人麻呂 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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 まず聖徳太子の万葉歌を引き、人麻呂長歌の後半部及び反歌二首との類似性、共通性を指摘する。古代においては常に思わぬかたちで頻繁に遭遇する行路死人に対し、その苦境の対極にある「家」、「枕」、「妻」=「妹」という安穏を表す言葉で執拗なまでに鎮魂し慰撫していたのだ、と。それらは生きている限りはどのようにしてもあり得ようものだが、旅人が旅人として最期を迎える瞬間にはそのとぼしい可能性さえ永久に失われて最も渇望されるであろうものである。
 讃岐の国褒め、万葉集をひたすら読み込んだ博さんにはそれも自然かも知れないが、そのまま読んでみると如何にも不自然な褒めちぎりから「名くはし 狭岑の島」という一笑を誘ってしまうようなぎくしゃくした詩句で一挙に転回したこの歌は、人の死というちっぽけなごく当たり前の自然と海上の荒波という巨大な自然双方にそれぞれ哀悼と畏敬を示しつつ、荒ぶる自然が荒ぶる心と一体となって呼応仕合い、自然とも言えるが簡単に自然とは言えない人の死を哀悼しようとする強い意志として結実していくかのようである。宮廷歌人として権力の栄華に歌の呪力を与えることを厭わなかった一詩人が、追われたか追われなかったかは兎も角、人の死への哀悼の意志だけは決して失わないまま狭岑の波濤に立ち尽くしていたようである。
 中西さんの本をもっと学術文庫に入れて再版して欲しい。




柿本人麻呂―日並皇子挽歌覚え書
販売元: リーベル出版

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書くことの文学 (上代文学会研究叢書)
販売元: 笠間書院

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隠された国家―近世演劇にみる心の歴史
販売元: 世界思想社

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郭店楚簡儒教研究
販売元: 汲古書院

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