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和書 492084 (202)



鄭和の南海大遠征―永楽帝の世界秩序再編 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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 鄭和の第一回航海から、今年でちょうど600年を数えます。報道によると中国では、国威発揚のため、彼と彼の偉業を顕彰する大々的なイベントが行われているのだそうです。
 本書はその鄭和による航海事業の概要を紹介するものですが、気が付いた特徴は以下の3点です。
 ① 鄭和の遠征そのものを紹介するだけでなく、この事業の背景や意義の解説に力を入れています。すなわち、この遠征は永楽帝による中華国際秩序の回復運動の一環として実施されたものであり、さらに巨視的に言えば、大ユーラシア・ネットワーク活動の最後のきらめきとして捉えるべきと主張しています。
 ② 航海事業そのものについても十分な解説が加えられており、当時の造船・航海技術、海図、艦隊・兵員構成など、他の概説書ではあまりお目にかからないような事柄が比較的詳細に取り上げられています。
 ③ 鄭和の生い立ちに関しては「敗戦で家を失った戦災孤児」という捉え方をしており、彼の活躍ぶりに対しては、比較的ウェットな暖かい眼差しが注がれています。

 この本、鄭和の活躍振りを題材としつつ、時間的にも空間的にも、とにかく壮大なスケールでユーラシア・ネットワークの興亡を描こうとするものと言えます。ところどころ、マニアックに思える部分がないでもありませんが、総じてメリハリも程よく効いており、良い出来栄えだと思いました。




マドラス物語―海道のインド文化誌 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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モスクが語るイスラム史―建築と政治権力
販売元: 中央公論社

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ユニークな本である。モスクはアラビア語でマスジドという。キリスト教の教会や仏教の寺院などとは、モスクは大分性格がことなる。教会や寺院は、拝む対象のキリストの磔刑像やマリア像、あるいは仏像が置いてあって、それを信仰する場所である。一方イスラームの信仰対象はアラビア半島のメッカのカーバ神殿の聖石だけである。モスクは「メッカに向かって祈るために設定される場所」であって、かならずしも建築物である必要はない。極端な話、自分の部屋でコンパスでメッカの方向を確認して、イスラームのやり方にならってお祈りをすれば、そこが「モスク」である。イスラーム創始時のモスクのあり方はそうであって、現在でも「方向を定めて礼拝する場所」という性格は、大方変わらない。一方、建築物・イスラームの人々の交流の場としてのモスクの発展というものがあって、本書ではこの面が詳述されている。最古の建築物モスクは、メディナにある「預言者のモスク」。これは預言者ムハンマドの家であって、もともと長方形の信者を集める集会所を兼ねた掘立て小屋のようなものであった。時代が進むにつれ、ビザンチンのキリスト教寺院の様式を取り入れた建築物としてのモスクが多数建造され、イスラーム世界のなかでも地域ごとに様々な様式のモスクが生まれていく。建築物としてのモスクは、時の権力者の威光の内外に知らしめる役割が与えられるようになり、ついにオスマン時代に入って、東西交通の要、イスタンブルに威容を与える巨大モスク群に結実する。この本は、本来「建築物」である必要のない「礼拝の場所」であったモスクがイスラームの威光を高めるための建築物として発展していった過程を丹念におった興味深いイスラーム史であるといえる。




物語 イランの歴史―誇り高きペルシアの系譜 (中公新書)
販売元: 中央公論新社

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 物語、と題しているが物語ではない。物語ではないどころではなく、体系的な書物の形をなしていない。まず序文、かなりのページ数をイランの文化・風俗・風習の紹介に費やしている。これが悪いといっているのではなく、なぜ序文でこういったことをだらだらと書かなくてはいけないのか、理解に苦しむ。思い出したことを思い出した順に羅列しただけとしか思えない。このことは1章、2章、3章あたりまでの記述にも当てはまる。まるで世界史の教科書をそのままコピーしただけのような無味乾燥した記述。小見出し同士の関連は言うに及ばず、いま読んでいる文章と、10ページ後の文章のつながりが分からない、という状態にしばしば陥った。

 なぜこのような本が出版されたか、疑問に思い、ふとあとがきに眼をやった。著者自身述べているように、「2001年アメリカ同時多発テロ以降、仕事が増えて忙しい合間に書いた」、云々。なるほど、テロ以降、人々の関心がイスラム、中東に向けられていくなかで、とりあえずすぐ書けるもの、とりあえず売れるもの、を主眼において出版されたものと、著者自身告白していると言える。

 この本の読みづらさが、自分の知識不足に起因しているのか否か、わからない。同出版社の『物語 中東の歴史』、『シーア派』や、イスラム、中東の歴史関連の新書レベルはかなり読んではいるが、この本は自分にとって、ある意味ショックであった。それは、自分のなかで良心的な出版社と考えていたところが、このような営利最優先、いたずらに時流に乗った、ある意味書名において読者を欺く行為をする、ような出版社だということが分かったからである。




物語韓国史 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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 韓国は言わずと知れた日本の隣国ですが、その歴史について、我々はどれほど知っているのでしょうか。我々の問題意識は、どうしても日本との交流に傾きがちです。豊太閤の朝鮮出兵や近現代史などは話題に上るものの、古代・中世以来の半島が如何なる道を歩んできたのかについてはお寒い限りです。韓国それ自体の歴史について、やはり概略なりとも知っておく必要があるのではないでしょうか。
 さて、本書は、中公新書の「物語歴史」シリーズの最も初期の一冊です。「父が子に語る韓国史」というコンセプトで執筆されただけあって、語り口はたいへん平易であるほか、整理がしっかりとしており、またメリハリも程好く利いていると思います。
 檀君神話や高句麗・百済・新羅の建国伝承などに相当の紙幅が充てられており、歴史の本としてバランス的に如何なものかというご意見もあるようですが、民族の歩みと心象風景の原点を描き出すという観点から、悪くない趣向だと思います。
 本書を通じて感じられるのは、韓半島の人々にとっての中国のプレゼンスの大きさ・重さと、それに呑み込まれまいとする民族の自尊と矜持です。日本と半島との不幸な次第はあるものの、やはり中国との距離感こそが、半島にとって現代にも通じる最も重い問題なのではないかと改めて感じされられました。




物語 中国の歴史―文明史的序説 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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シナの歴史を大づかみできる本、
各王朝やその時代の特徴を端的に説明してくれるのがとてもよい。
ページの所々に、著者の考察があるのだが、結構刺激的だ。


かの地の報道や言論は、基本的にポジショントークだ。
しかも、別件を暗に批判するために、関係ない当て馬をこき下ろすこともあって、
言っていることが正しいのか、言いたい事かもわからない。
そのうえ、権力がモノを言うから、事実なんてどうでも良かったりもする。

ということで、シナの歴史の下すもろもろの評価についても、
眉に唾して聞かないといけない。

著者が言うように、中華文明の保持者は知識人層だ。
もろもろの評価は、知識人にとって良い=良いことと判断されるだろう。
知識人にとって不利益だけど農民など貧乏人に良いことや、
女性や子供の利益も評価されないだろう。
また、儒教イデオロギーに合致しない価値観も評価が難しいし、
中華思想に合致しない事実も評価されないだろう。

漢の武帝とか康熙帝や乾隆帝みたいに、
やたら評価の高い人物が何人かいるけれど、
それは単に、彼らは知識人の好みに合致しただけで、
文字のわからない貧しい人たちの怨嗟を浴びていた存在である可能性も否定できない。




物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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 1932年に生まれ、毎日新聞社に勤務した経験を持つ、東南アジア現代政治史研究者が、自ら行ったインタビューの内容も踏まえて、1997年に刊行した300頁ほどのフィリピン通史。本書の基本的立場は、フィリピン人の対日批判を「十分受け止め」つつ、公文書を残した植民地主義者の観点からではなく、公文書の行間から垣間見える原住民の立場で歴史を見直し、反米・親日等にこだわらずに、原住民族の復権に寄与する、500年抵抗史観である(「はじめに」と「おわりに」を参照)。そのために本書は、1)マゼラン(1521)以前のラグナ銅版碑文や中国史書から話を始め、2)武力とカトリック教会(ガレオン貿易にも関与)を通じたスペインの過酷な支配と、それへの原住民(在俗司祭等)・中国系メスティーソ(フリーメーソンともつながりがある)の抵抗運動・フィリピン革命(1896)の挫折、米帝国主義(マッカーサー父子ら)による植民地化(1898)と友愛的同化政策の虚実(多くの背信を行いつつ、第二次大戦前に独立を認める→1946独立)に多くの頁を割き、3)民族主義的社会主義運動の高揚と、フク団(抗日人民軍フクバラハップ)・共産党の活躍を重視し、4)悲劇の天才ベニグノ(ニノイ)・アキノ・ジュニアを賛美し、マルコス独裁=「立憲的権威主義」を批判しつつも、5)人民の力革命(1986二月政変)後のコラソン・アキノ夫人の政治への批判的評価で締めくくられる。したがって、本書ではやはり政治史が中心であり、しかもそれは民族史であるという特徴を持つ。そのため、抵抗運動の連綿たる継続が強調されると共に、フィリピンの置かれている深刻な経済的状況への言及が不足気味である。略年表、幾つかのコラム、多くの図版付き。





物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)
販売元: 中央公論社

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ヴェトナムの古代からホ・チ・ミン時代までの概観書。中国との関係、インドシナ諸国および欧州列強(特にフランス)との関係の2つの軸から話が進む。概説としてはまとまりがよく、政治的な見解などのバイアスもかかっていない印象で、良書と思う。
経済成長を本格的に始めつつあるヴェトナムの最近の歩みについて読みたい向きには、97年出版かつカバーしている範囲がホ・チ・ミンまでということでお勧めできない。それでも、国としての成り立ちを知ることは、現在のヴェトナムへの理解も深めてくれるはず。歴史も含めてこの国への理解を深めたいならば、本書は手軽なチョイスであろう。




両班(ヤンバン)―李朝社会の特権階層 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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期待以上に良い本であった。両班が李朝後期あるいは近代韓国理解の上で非常に有益なものである点は発見だった。この理由は次のようなものだ。両班は16-18世紀にかけ、地方にも徐々に浸透していき、朝鮮半島全域で地域レベルでの支配層となった(在地両班)。両班的なものの浸透は、上昇志向を持つ下層階級の両班化や、郷約と呼ばれる地方社会全体の一般人向け遵守規約にもよる。郷約は、朝鮮一の朱子学者と言われる李滉が作った郷約がモデルとなり各地域で作られた。これにより儒教的考えが朝鮮半島の隅々まで浸透し、中国以上の儒教国を作ったという。これが両班化である理由は、両班が朱子学の担い手であり朱子学の権化と言えるが、郷約により朱子学・儒教が地方の隅々まで浸透した状況は、朝鮮半島全体の両班化とも言えるからだ。

20世紀に入り日本の植民地下でも、在地両班の基盤である同族集落は温存され、社会主義思想を真っ先に入れるなど、近代でも相当な影響を持っていた。この影響力は、韓国経済の高度成長による都市化によって同族集落が解体し始める1960年代まであったと言う。

本書は、安東権氏という一族を歴史的にずっと追いつつ、一般論も添え話を進めている。構成の工夫から判り易い内容になっている。このように1つの例から一般論を語るには膨大な知識がいる。新書ながら専門家の凄さも感じた一冊だ。





楊貴妃―大唐帝国の栄華と暗転 (中公新書)
販売元: 中央公論社

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