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和書 492116 (28)



カントからヘーゲルへ (UP選書 174)
販売元: 東京大学出版会

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カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの生涯と学説を平易に解説。明快だが急がずゆったりとした文体で、語ってくる本書は、だれでも無理なく読める好著。高校生でも読んで哲学に興味が出てくる良書。斯く言う私も高校時代に本書に接して以来、哲学関連の書籍に親しむようになった。難しい話を順序だてて、ひとつひとつ平易な言葉に置きなおして考えていくその姿勢は見事で、若年においては大いに学ぶべきところがあると思う。だが、ヘーゲルの章においては間もなく不満が生じた。分けても「弁証法」を「認識の弁証法」に限定して評価し、それ以外は無意味であるかのように語る解説には、根本的に徹底して考える、というヘーゲル哲学の姿勢そのものを無視してしまう結果を生んでいる。この解説では、「悟性」と「理性」の区別もつかない。また一読後、良く考えてみると、一体どこがフィヒテの思想と異なるかも釈然としない結果を生む。けれど、ヘーゲル以外については行届いた妥当な判断の解説と言えると思う。




三木清 (UP選書 53)
販売元: 東京大学出版会

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西洋思想の流れ (UP選書 63)
販売元: 東京大学出版会

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VOL 01
販売元: 以文社

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気鋭の若手研究者が集まってつくられた本だが・・。
 どうも普段の著者たちの仕事にくらべ非常に軽い、という印象しか覚えなかった。
 そして一般人には難しすぎ、アカデミシャンには軽すぎるのではという感じも。
 若い人に向けて編まれた雑誌なのならば、
そしてポストモダニズム、もしくはポストポストモダニズムを紹介したいのなら中学生でも
わかるように書かねばならないのではないだろうか・・・。




V〓kyapad〓ya 3-14:V〓ttisamudde〓a訳注研究 (1) (インド学仏教学叢書 (2))
販売元: インド学仏教学叢書編集委員会

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Webプロトコル詳解―HTTP/1.1、Webキャッシング、トラフィック特性分析
販売元: ピアソンエデュケーション

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ページの厚さが相当あるのに加えて、内容も難しい箇所がある。
飛ばし読みして、自分にとって必要な部分だけを読むだけでも時間がかかった。
でも、辞書代わりに持っていても良いかもしれない。




XY―男とは何か
販売元: 筑摩書房

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わたしは、「性的指向の権利の確立」という事にこだわる運動の路線に違和感があります。
この本は、「男らしさ」と同性関係嫌悪との関係について書かれていたのがよかったです。
性役割/男らしさの強制を問う点から、ホモフォビア(同性関係嫌悪)を問題化するようなアプローチでわたしは考えたいので、とても参考になりました。




こころの変遷―日本思想をたどる
販売元: 増進会出版社

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ああ、顔文不一致 (新書y)
販売元: 洋泉社

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 「やはり人間は基本的に「見かけ」によるのではないか(P.117)。」と著者は書いている。ところで本のタイトルというのはその本の‘顔’といえるのではないか。例えば本書のタイトルを『人は見た目が9割』としていたらベストセラーになっていたのではないのか。2ヶ月遅れをとってしまったからなのか、あるいはそれぞれの著者の‘顔’と内容が一致することを身をもって証明したということなのか。
 しかし本書はやはり『ああ、顔文不一致』とせざるを得ない理由は、第六章を読めば理解できる。‘ああ’と感嘆せざるを得ないのだ。著者の業というべきか。今までの著者の本のタイトルを見ても、『わたしを認めよ!』、『まれに見るバカ』、『ぶざまな人生』、『この俗物が!』...。著者の‘悪意’がタイトルに滲み出てしまっている。隠しきれないのだ。勿論私は著者の‘悪意’が嫌いではないが、やはり‘人は見た目が9割’?




あいだ (ちくま学芸文庫)
販売元: 筑摩書房

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この本の評価は、「結び」で表わされる、水源から噴出口を通って迸り出る噴水の喩えに合点がいくかどうかにかかっている。

人間を、動物や植物を含めた生物についての、生命一般の根拠とのつながりにおいて解き明かそうとする試みは面白いが、ユクスキュルの環界は人間において破綻している、あるいは過剰であるが故に他種の環界さえ破壊してしまう、つまり円環(クライス)でおさまらないという視点が無いように思う。読み始め頃に、ゲシュタルト・クライスを、ゲシュタルト・クライシスと読み違えていたが、まさしく人間にはゲシュタルトの危機(クライシス)がつきまとっているのではなかろうか。

果たして、動物や植物に統合失調症はあるだろうか、あるいはアヴェロンの野生児に統合失調症はありえただろうか。ノエシスがノエマを生み出すメタノエシスを可能にしているのは、自と他の関係性、自と他のアーティキュレーション、あるいはソーシャライゼーションであり、その機序が明かされねばならないと思う。


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