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和書 492116 (60)



すっぽらぽんのぽん―頼山陽の母・梅〓八十四年の生涯
販売元: 南々社

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すべては脳からはじまる (中公新書ラクレ)
販売元: 中央公論新社

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 脳科学に関する短編エッセイですが、指摘されなければ脳についてのことだと意識しないであろうというほど自然に日常生活についての何気ない一情景を描いておられ、そしてさりげなく脳についての見識が埋め込まれています。脳科学の本でありながらここまで身近な話ばかりを考えることができる著者の技術に感心します。

 短編集ですのでそれぞれがサクッと読めてしまうのですがどれもが良い出来映えで、「あー、そうそう」とか「なるほど、なるほど」など深い共感を感じることができるものばかりです。

 長文の論文を読むのが好きという方は満足できないかもしれませんが、そうでない方には文句なしにお勧めできる良書です。ご一読ください。




すらすら読める論語
販売元: 講談社

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「論語」に親しむには良書です。
難しすぎず、かといって簡単すぎず。
適度な文量で読みやすいです。

「論語」といえば、孔子というのは知ってる方も多いと思いますが、
ちょっとページをめくって少し読んでみるのもいいと思いますし、
ちょっと教訓じみたことを子どもに話したり、自分の人生訓にするのもいいと思います。

手軽に論語に親しめる、おすすめの一冊です。





すらすら読める養生訓
販売元: 講談社

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文字が大きく、これがまた読みやすい!これなら普段あまり読書をしていない人でも読めそうだと思って、そろそろ健康に気をつけるようにしてほしい64歳の母に「これは、良い本だよー」と貸してあげました。母のコメントが「レビューのタイトル」です。




そうだったのか現代思想―ニーチェからフーコーまで (講談社プラスアルファ文庫)
販売元: 講談社

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現代思想=評論家や大学教授、出版社の飯の種。

まずはこの前提を踏まえたうえで、、

現代思想を使って問題を解決したいだとか、ちょっと頭が良くなりたいなどと
思ってる人はやめたほうがいいです。期待するものはなにもありません。
現代思想とはとりわけ日本人にとって、端的に無関連なものの総体であり、もしくは我々にとって既に分かりきったこと、自明な事柄が反復されます。







そして花々が降りそそぐ―和尚講話録
販売元: 市民出版社

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そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉
販売元: 岩波書店

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アルチュセールやバルト、フーコーらへのデリダの追悼文集。抑えのかかった言葉が、搾り出されるかのように発せられる。かつては、初期の得体の知れない言葉遊びに辟易していたが、本書を読んで、一気にデリダに惹きつけられた。




そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈2〉
販売元: 岩波書店

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それでも人生にイエスと言う
販売元: 春秋社

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ナチスによって強制収容所に送られ、死と隣り合わせの過酷な状況の中で
生き抜く。その体験は「夜と霧」ですでに読んでいた。だが、この作品で、
そのような過酷な状況の中で作者はどう考えどう行動したのかがより深く
分かったような気がする。どんな状況になっても人は生きていかなければ
ならないのだ。人は絶対に生きることをあきらめてはいけないのだ。
「どんな人生にも意味がある」この言葉の持つ意味は深くて重い。与えられた
命の大切さをもう一度考えさせてくれる、貴重な作品だった。




それでも心を癒したい人のための精神世界ブックガイド
販売元: 太田出版

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 対談が前半で、オウムを含むイマの宗教をなかなか鋭く切っている。
以前から思ってたのだが、オウム麻原は結構仏教の修行に関しては直感的かも知れないが非常に正しい、という中沢の同意見に頷く。
 その説教はきわめて実践的で、誰でも3年かかる修行を数ヶ月に短縮できる。その語りは妙に奥行きというかパースペクティブに欠けるが、そこには「チャート式悟りの開き方」みたいな「早く、早く早く早く!」と受験勉強世代を駆り立てる(中沢によれば現代の技術の時代にフィットした)世界が広がっていて、ここが理科系の人にもはまってしまったのだろうという。
 もう一つ言ってたのはエヴァンゲリオンで頻出した(だから、これも流行り言葉なのだった)グノーシス主義ちうやつ。キリスト教徒発足と同時代にルーツを持ち「(究極の)知識」という意味を持つこの言葉のさす宗教運動はとっくに廃れているが、その理念は今も生きていて、絶えず宗教の本来のあり方にバイアスかけてねじってしまう。
 つまり、「ここは私のいるところじゃない(私は現実にフィットしない)」という疎外感の認識と「どこかあっちの世界に自分の場所がある!」という確信をうまく組み合わせると、いわゆる宗教教団へご案内~っとなる。
(本当は、今、この生きている現実をどう現世と折り合いつけるのか、というバランス感覚こそが仏教の本質で、キリスト教ですら原初はあっちの世界に行くのが目的ではなかったのが、その後すぐグノーシスな世界へ軌道修正してしまうという...唯物論も共産主義もその「今」の変革の二元論的極どさの中にグノーシス主義を内包していて... こんな話、面白くないっすか?)
 残り半分はそこで言及されたものを含む現代日本で手に入る日本語版のニューエイジ系含む新宗教の本の書評化による寸評。シャーリー・マクレーンがそーゆー本を書いてるとはしらなんだ。
 実際の本を読まずにこういう寸評で済ませること自体が「技術の時代」の悪弊かもしんないが。スウェデンボルクや出口王仁三郎からライアル・ワトスン迄概観できるのは楽。


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